ようやく京極夏彦の『鵼の碑』(2023、講談社)を読み終えた。
なんだかんだで一ヶ月近く読んでいたような気がする。読んでる間にすっかり寒くなってしまった。
以下、簡単にメモ的感想を書いておく。(気をつけてはいるけれど、うっかりネタバレの可能性があるので、これから読む予定がある人はこの記事は読まない方がいいかもしれない)
「百鬼夜行シリーズ」(京極堂シリーズ)17年ぶりの長編ということで、読む前から期待値が高すぎるぐらいだったのだが、その期待を裏切らないおもしろさだった。
ただ、いや、おもしろかったのだが……正直に言うと、旧作に比べてパワーダウンしたのではないかという印象があった。なんとなく物足りないというか。しかしそれは今回の物語の構造というか性質によるものではないかと思い直した。
今回の物語はいままでのように次々と人が死んでいくような話ではない。(物語の)リアルタイムで起きている事件といえば、若い女性の自殺未遂と中年男性の失踪ぐらいである。
今回の物語の謎は十数年前(戦前)に起きたいくつかの不可解な出来事に端を発していて、それを探っていく形になるので、現在進行形の緊迫感というかサスペンスに欠ける感じがするのだ。しかしその代わりに、これまでにないような巨大な「陰謀」の影が見え隠れする。その「陰謀」は実在するのか、しないのか。それが最大の謎になる。
作中の益田の言葉を借りれば、「慥(たし)かに今回は連続殺人事件でも猟奇殺人事件でもない」けれど「何が何だか訳が解らないってことでは特級」の物語なのである。(それにしても益田君、回を追うごとにヘタレキャラになっていくなあ)
どこまでが偶然でどこからが必然なのか。あるいは偶然から遡って必然が捏造されるのか。
無関係だと思われていた複数の出来事が接合されてできた「鵼」の正体は……。
まだうまく読後感を整理できていない。こんな曖昧な感想では何を言っているのかわからないと思うけど、気になった人は実際に作品を読んでみてください。
ところで今回の本の帯には「次作予定」として『幽谷響(やまびこ)の家』というタイトルが挙がっている。
なんとなく今回の作品でこのシリーズは打ち止めかなと思っていたので、これは嬉しい予告だ。あくまでも「予定」ではあるけれど。
しかし、次回も今回のように17年後なんてことになると、私は70歳を超えていることになる。70を過ぎてこんな分厚い本を読み通す自信はない。なので、次はもう少し早めにお願いします。
【おまけ】京極堂の書物名言(太字は引用者による)
「(……)無駄な記録がないように、無駄な記憶なんかあるものか。僕の古本の師匠は能く云っていたよ。無駄な本はない、本を無駄にする奴がいるだけなんだーーと。役に立たないのではなく、役立て方を知らないだけだろうに」(p.320)