何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

渥美清の金田一耕助

 

YouTubeに松竹映画のチャンネルがあって、月に一本昔の映画が無料公開(二週間の期間限定)されている。今月は横溝正史『八つ墓』(1977年公開)だったのでさっそく視聴してみた。

なんといっても興味深いのは、金田一耕助渥美清(敬称略、以下同じ)が演じているところだ。あの「寅さん」の渥美清である。なんかぜんぜんイメージできない。ちなみに金田一役を渥美清にするというのは、原作者の横溝の提案だったらしい。

私にとって金田一耕助といえば、映画の石坂浩二とテレビシリーズの古谷一行の2人である。この2人でイメージが固まっている。だから他の人の金田一を見ても、やっぱり何か違う感じがする。

渥美清はいったいどんなふうに金田一を演じているのか。

 

(画像は松竹より借用)

結論から言うと、なんだかとても地味な金田一だった。

まず第一に格好が地味だ。金田一といえば昔の書生のような袴姿が定番だと思うが、渥美版金田一は、ちょっとくたびれた感じのジャケットにズボンという普通の洋装なのである。探偵というより村役場の職員といった風貌だ。(もっともこれは、物語の時代背景が原作の昭和20年代からリアルタイムの昭和50年代に変更されているというのも理由の一つだと思うが)

それから話し方や動作が妙に落ち着いている。石坂浩二古谷一行金田一はどこかそそっかしいような、ちょっと滑稽な言動をするところがあるけれど、渥美版金田一はあまりそういうユーモラスな感じがなく、なんだか真面目な印象だ。

結果、なんとなく控えめで目立たない感じになっている。まあ、探偵としては目立たないほうが正解なのかもしれないが。

たぶん前年に公開されて好評だった石坂版金田一(『犬神家の一族』)と差別化するために、あえてそういう地味な感じの演出にしているのだと思う。金田一が主役ではなく、あくまでも主役をサポートする立ち位置というか、あまり存在感が大きくなりすぎないようにしているのかもしれない。

 

まあ、存在感というかインパクトという意味では(上の画像を見てもわかる通り)要蔵を演じた山﨑努がMVPだろう。

この白塗りの顔で、ときにはうっすら笑みを浮かべ、日本刀と猟銃で淡々と村人を殺戮していくシーンは、子どもの頃に見たらトラウマ確定のレベルだ。「鬼気迫る」とはまさにあんな感じ。

それから終盤の演出も、ミステリーというよりはホラーっぽい感じになっている。

また、前述した時代背景もそうだが、原作との相違も多いようだ。

私は原作は未読なのだが、最近は原作と映像化作品の間のごたごたがなにかと話題になっていることだし、原作のほうも読んでみたくなった。