何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

毎日のことだから

 

ようやく土井善晴『一汁一菜でよいという提案』新潮文庫、2021 / グラフィック社、2016)を読み終わる。

 

f:id:paperwalker:20211225232904j:plain

 

単行本が出た時に話題になったから気になってはいたのだが、ずっと先送りしていた。それが先日文庫化されたので、これを機会に読んでみた。

はてなブログでも特集ページを作ったぐらいだから、読んでブログに感想を書いている人も多いのだろう。

食事を「型」で運用する。土井善晴先生から料理を学ぶはてなブロガーの記事をピックアップ! - 週刊はてなブログ

 

本書の趣旨はタイトルの通りで、「ご飯」「具沢山のみそ汁」「漬け物など」の「一汁一菜」を毎日の食事の基本にしてみようというものだ。

私のように自分で作って自分で食べるだけの人ならいいけれど、家族のためにご飯を作る立場の人は日々の献立に悩むことも多いのではないだろうか。毎日同じようなものばかり食べさせるのも悪いような気がして、あれこれ工夫して変化をつけてみたり、レシピを見て新しい料理に挑戦してみたりと気を遣っているかもしれない。

しかし、毎日の家庭料理に無理に変化をつける必要はない、むしろ違和感のあることはしないほうがいい、と土井さんは言う。

 

家庭料理は、素朴で地味なものです。目的は自分と家族の健康です。ですから、なんでもありではありません。違和感のあることはいけません。そして、中くらいに、普通においしければ、まずはそれでよいのです。(p.98)

 家庭料理ではそもそも工夫しすぎないということのほうが大切だと思っています。それは、変化の少ない、あまり変わらないところに家族の安心があるからです。そういう意味でも食べ飽きないものを作っているのです。(p.102)

 家庭料理が、いつもいつもご馳走である必要も、いつもいつもおいしい必要もないのです。(p.104)

 

毎日の食事に大きな変化がないということは、退屈でつまらないということではなく、生活に安心と落ち着きを、言い換えれば「秩序」を与えてくれるのである。

それに変化がまったくないというわけでもない。例えば季節によってみそ汁の具も違ってくるし、日によって焼き魚や煮物が付くこともあるだろう。そういうちょっとした季節感や作り手の気遣いを感じ取れるようになることが大切だ。

 

この本では、表面的な食生活のことだけではなく、その深層にある「日本人らしさ」や「日本人の美意識」についても話が及んでいる。

正直に言えば、私は食や料理の話が抽象的な「精神論」のほうに向かうのはどうかとも思うのだが、それでも興味深く読んだ。それは土井さんの語り口が丁寧で、誠実さを感じるからだ。

これは私の偏見かもしれないが、食や料理を語る人の中にはなんとなく偉そうというか、話が説教臭くなる人がいるように思う。(極端な例で言えば『美味しんぼ』の海原雄山みたいな)

そういう人の話を聞くと、なんだかこちらの食に対する意識の低さを責められているような気がしてしまい、料理をしようという気持ちもしぼんでしまう。

しかし土井さんの語り口にはそういうところが感じられないので、こちらも素直に話を聞くことができる。

 

 人間の暮らしでいちばん大切なことは、「一生懸命生活すること」です。料理の上手・下手、器用・不器用、要領の良さでも悪さでもないと思います。一生懸命したことは、いちばん純粋なことです。そして純粋であることはもっとも美しく、尊いことです。(p.99)

 

私は一生懸命生活しているだろうか?

そうだな、まずはみそ汁を作ろうか。

 

 

【これまでに読んだ食に関する本】

paperwalker.hatenablog.com

paperwalker.hatenablog.com