何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

ちょっとだけ遠くに行きたい

 

風邪がなかなか治らない。ここ10日ぐらい調子が悪い。

寝込むほど酷くはならないがスッキリ全快するわけでもなく、体がだるくてなんとなく頭が鈍くなっている感じがする。あと鼻水がひどい。

以前は薬を飲んで一晩寝ればたいてい治っていたのだが、どうも抵抗力とか回復力が衰えてきているようだ。これも歳のせいだろうか。

そうこうしているうちに暦も2月になってしまった。ついこの間年が明けたような気がするのだが。

時間が経つのがどんどん早くなっている。これも歳のせいにしてしまおう。

しかし時間が早く過ぎるのも悪いことばかりではない。

この調子なら寒い2月もあっという間に過ぎ去って、気がつけば春3月ということになりそうだ。春だからどうしたというわけでもないが、バイク(原付)通勤としてはとりあえず暖かくなってくれるだけでもありがたい。

 

暖かくなったら少し遠出したいな、という気分になっている。

私がこんな気分になるのはかなり珍しい。

私は生粋の出不精であり、動かざること山の如しというか、尻に根が生えているというか、とにかく用事がなければ極力家から出たくないという人間だ。旅行なんかはもってのほか、日帰りの遠出だってめんどくさい。

そういう私がこんな気分になっているのは、たぶんこの本を読んでいるからだ。

岡崎武志『昨日も今日も古本さんぽ  2015-2022』(書肆盛林堂、2024)

 

 

これは岡崎さんが北は東北青森から南は九州熊本まで古本屋を訪ね歩いた記録である。(関東が多いが)『日本古書通信』に連載されていた文章をまとめたものだ。

岡崎さんもそうだし、この本にもたびたび登場する古本屋ツアー・イン・ジャパン(小山力也)さんもそうだが、とにかくフットワークが軽い。二人とも、古本屋があるなら日本全国津々浦々まで行くといった感じである。

こういう本を読むと、出不精の私でさえどこか知らない街の知らない古本屋に行ってみたくなる。どこかの地方都市の、寂しげな街のうらぶれた商店街で、忘れられたようにひっそり営業している古本屋に入ってみたい。(入るのに少しばかり勇気が要りそう)

本のためだと思うとちょっとだけ活動的になれる。ちょっとだけ、だけど。

旅情と古本はなんとなく相性がいいような気がする。どちらも「《いま》ではない《いつか》、《ここ》ではない《どこか》」を感じさせてくれるからかもしれない。

 

さて、どこに行こうかな。

でも、春になったらやっぱりめんどくさいとか言いだすような気もする。