何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

書を求め町に出よう

 

角田光代岡崎武志『古本道場』ポプラ社、2005)を読んでいる。

ついこの間出た本だと思っていたが、もう15年も前になるのか。

 

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道場主である岡崎さんのもとに古本初心者の角田さんが入門し、岡崎さんの「指令」に従っていろいろな古本屋を巡るという趣向の本だ。

ただ本を買うだけでなく、その店の雰囲気を楽しんだり、町と店の関係を考えたり、古本屋に行くという行為自体を楽しんでいるのがいい。

古本関係の本はどれもそうだが、この本はとくに読んでる途中から古本屋に行きたくてしかたなくなり、心がそわそわと落ち着かなくなる。困った本だ。

 

しかし、古本屋に行きたくなってもなかなか腰が上がらない。

私の住んでいる所だと、一番近いブックオフでもバイクで4、50分はかかる。それを考えるとおいそれとはいけない。いわゆる普通の古本屋で気に入っている店があるのだが、そこだと80分ぐらいかかる。

遠い。古本屋が遠い。(ついでに大型の新刊書店も遠い)

とくに最近はなんだか疲れやすくて、翌日の仕事に疲労が残るかもと考えると気持ちが萎えてしまい、行動できない。

結局、古本屋巡りというのは都市に住む人の楽しみなのだなあと、ちょっとひがみっぽく思ってみたりする。

私は東京に憧れたことはないし、住みたいとも思わないけれど、こと古本に関してはうらやましくてしょうがない。

 

そんなに嘆かなくても、いまはネットがあるじゃないか、と思うかもしれない。

その通り。実際、私はいまではほとんどの古本をネットで買っている。ネットなしでは読書生活が成り立たない。(ありがとうネット社会。ありがとう物流関係のみなさん)

しかし、それでもやっぱり古本屋には行きたいのだ。

「ネットでいいじゃない」というのは、喩えて言えば、釣りが好きと言っている人に向かって「魚が欲しければ魚屋に行けばいいじゃない」と言うのと同じだ。そうじゃなくて、魚も好きだけど、釣りが好きなのだ。

 

 古本屋巡りって、単に本を買いに行くだけではなく、その途中、店へ向うまでの風景や気分がまた楽しいのだ。本を読むように、町を読む。知らない町を、古本屋めざして歩く時など、待ちに待ったひいき作家の新作のページを開いていく感じと似ている。少し胸がときめくのである。(岡崎、p.52-53)

 

次の休みには出かけたいなあ。