何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

ノッポさん

 

たとえばカラーボックスなど、ちょっとした物を組み立てているとき、私の頭の中では必ずと言っていいほど

♪♪  でっきるかな、でっきるかな  ♪♪

という歌が流れている。

これは昔、NHK(教育テレビ)でやっていた『できるかな』(1970~1990)という子ども番組で使われていた歌で、ある程度の年齢の人は聞き覚えがあるのではないかと思う。

 

『できるかな』に出てくるのはノッポさんと呼ばれるおにいさん(最後の方はおじさんになっていたが)と、ゴン太くんという着ぐるみのキャラクターの2人だ。

ノッポさんが、ダンボール箱などの身近にある素材を使い、工作してゴン太くんと遊ぶという番組なのだが、特徴的だったのは、ノッポさんが一言もしゃべらないことである。ゴン太くんも「モゴモゴ」という鳴き声(?)しか出さないので、登場する2人がどっちもしゃべらない。説明と進行はもっぱらナレーションのお姉さんがやっていて、2人はその声にジェスチャーで答えるだけ。考えてみれば、けっこう不思議な番組だ。

ところが、最終回に初めてノッポさんが自分の声で挨拶をした、らしい。

私はそれを直接見たことがなかったので、今回記事を書くにあたりYouTubeで動画を探してみたのだが……あった、おお、たしかにノッポさんがしゃべってる! うーん、ある意味ショッキングな映像だ。

 

そんなノッポさんの自伝、高見のっぽ『夕暮れもとぼけて見れば朝まだき ノッポさん自伝』岩波書店、2017)を読んでみた。

 

f:id:paperwalker:20201208114416j:plain

 

ノッポさんは1934年(昭和9年)京都に生まれる。本名は高見嘉明(よしあき)。

父は芸人で、あの「松旭斎天勝一座」に在籍して松旭斎天秀と名のって手品をしたり、チャーリー高見の名前でチャップリンのモノマネをしたり、柳妻麗三郎の名前で映画に出たりと活躍していたが、ノッポさんが生まれた頃には第一線から退き商売をして生計を立てていた。

しかし戦後になると父は再び芸人として活動するようになり、ノッポさんは高校在学の時から「カバン持ち」として劇場やキャバレー、米軍キャンプなどを一緒にまわるようになる。舞台の上でアシスタントをすることもあった。

そういう流れで自分も芸人の道を志すわけだが、当然簡単に仕事がもらえるわけもなく、数年は仕事があったりなかったりの状態が続く。苦しい時期だったはずだが、読んでいてあまり辛さを感じないのは軽妙な文章のためか。ちなみに芸名は高見映(えい)。

 

転機が訪れたのは33歳のとき。NHKの子ども向け造形番組『なにしてあそぼう』に抜てきされる。ここで初めて「ノッポさん」と呼ばれる。

『なにしてあそぼう』は好評で3年間続いたが、局の都合で『できるかな』という番組にリニューアルされる。実はノッポさんはこのとき一度番組を降板しているのだが、視聴者からの強い要望で一年後に再登場。以来20年にわたって『できるかな』のノッポさんであり続けた。

 

しかし、ノッポさんのイメージが定着すると、今度は芸人・高見映として他の仕事がやりにくくなる。ノッポさんのイメージを壊すことを恐れたためだ。複雑な心境だった。

そのかわりというわけではないが、子どもの歌の詞や絵本を書いたり、『ひらけ! ポンキッキ』などに台本作家として参加したりしていた。

 

そして前に書いたように『できるかな』が最終回を迎える。

ノッポさんは、これでようやく「ノッポさん」から解放されると思ったらしいが、どこに行っても、どんな仕事をしてもやっぱりノッポさんと呼ばれてしまう。

最初は葛藤を覚えたが、やがて納得し、いまでは高見のっぽあるいは「ノッポさん」の名前で活動している。

 

高見嘉明さん、高見映さん、ノッポさんが、長い時間を経てようやく一人になれたのかもしれない。