何を読んでも何かを思いだす

あてのない読書、あてにならない感想、その他。

シュガー・スポット

 

バナナを常温で放置していると、2、3日もすれば茶色のポツポツが現れる。

あれ、もう傷んできたのかな?  なんか見た目、美味しくなさそうだな、と思う。しかし、

「この斑点は『シュガー・スポット』といって、『甘くなったよ、食べ頃だよ』というサインです。これが現れたバナナを食べると、免疫力がアップします」

と説明されると、なるほど、そういうものかと納得し、斑点もあまり気にならなくなる。むしろ斑点が現れた方が得をしたような気にさえなる。

「劣化」ではなく「熟成」の目印というわけだ。

「シュガー・スポット」という名前も気が利いている。

 

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人間も長く生きていると、それなりに見た目が変化してくる。

一般的に、年齢を重ねることで生じる外見の変化は、あまり喜ばしいものではないと思われている。

しかし、「それは『劣化』ではなく、人間的な『成熟』の証ですよ」ということを、「シュガー・スポット」みたいなうまい言葉で言い表わせないものか。

そうすれば、あれほど躍起になって「アンチ・エイジング」に励まずに、もっと自然に年齢を受け入れられるようになるのでは?……と思ったのだが、そういうわけにはいかないだろうなあ。

そもそも人間の場合、歳をとったからといって、必ずしも(精神的に)成熟しているとは限らないし。

試しに、身近な女性にこう言ってみるといい。

「あなたの顔に現れたソレは、バナナの『シュガー・スポット』的なもので、人間としての成熟を……」

間違いなくブン殴られるな。

 

  

店主と客の幸福な関係

 

山本善行清水裕也『古書店主とお客さんによる古本入門   漱石全集を買った日』(夏葉社、2019)を読んだ。

 

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山本善行さんは京都で古書店「善行堂」を営む古本屋さんで、著作や編集本が何冊もある、古本好きにはおなじみの人だ。

変わっているのはもう一人の清水裕也さん(ツイッター名は「ゆずぽん」さん)で、この人は「善行堂」の常連客であり(文筆を仕事にしていない)普通の会社員である。

この本は古書店の店主と、その常連客との対談で構成されている。そのテーマは、特に本好きというわけでもなかった清水さんが、どうやって古本と出会い、その底無しの深みにはまっていったかというものだ。

 

文学に興味はあったものの、今ひとつとっつきにくいと思っていた清水さんは、あるとき入った古本屋でたまたま『漱石全集』(筑摩全集類聚版)を見つけて、じゃあ、とりあえず漱石、みたいな感じで買って読み始める。

これがおもしろくて、昼夜を継いで読み終わる。そうしたら関心が漱石から広がって、繋がって……と、この流れは本好きならよくわかるところだろう。

こうして清水さんは坂を転がり落ちるように古本の深みにはまっていく。

 

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おなじみの漱石

 

この本の冒頭には、件の『漱石全集』から始まって、この5年ほどの間に清水さんが買った古本(の一部)を順番に並べて写真に撮ってあるのだが、日を追うに従って黒っぽい本が増えていき、内容もディープに、マニアックになっていくのがわかる。

人は5年でこれほどディープな古本者になるのか。

 

本に限らないけれど、何かを知るということは、同時に知らないことの多さに気付かされるということでもある。だから、知れば知るほど知らないことが増えていくというパラドックスが生まれる。

これをおもしろいと思うか、うんざりするかによって進む方向が違ってくる。

清水さんはおもしろいと思うタイプだろう。

だからどんどん本を買う。

 

善行さんはこんなふうに言う。 

古本を探すことは、どこか自分を探すようなところがあるから。自分がほんとうに好きなものは何か、というような。(p.184) 

清水さんはこんなことを言う。

そもそも古本屋という存在自体が ‘‘人々の記憶の最後の砦’’ といえるかもしれません。(p.189)  

古本屋の店主と客という立場の違いはあるが、ここには同じように古本を愛する者としての連帯感があり、お互いに対する〈敬意〉が感じられる。 

「同好の士」はこうありたい。

 

記憶の扉

 

前にも少し書いたけれど、私が小、中学生の頃(70年代後半から80年代前半)、アイドルや歌謡曲の話題は子どもたちの「社交」には欠かせないものだった。

 

今みたいに多様な娯楽がある時代ではないので、興味や関心がいくつかの話題に集中し、みんなが同じものを同じように楽しむという感じだった。これは子どもだけでなく、大人もそうだったと思う。

歌もそうで、特にその人のファンではなくても、みんなが知っている曲というのがたくさんあった。

だから、例えば、西城秀樹の『ヤングマン』が『ザ・ベストテン』の最高得点(9999点)を取ったとか、寺尾聰の『ルビーの指輪』が同番組の連続1位記録を更新(12週連続)した、なんていうことが共通の話題になったりした。

 

私も話題に乗り遅れないようにがんばって情報を集めた。

当時はテレビの歌番組も多かったし、『平凡』や『明星』といったアイドル雑誌には付録に必ず「歌本」が付いていた。

確か日曜日の午後だったと思うが、ランキングで歌を紹介していくラジオ番組があって、私はできるだけそれを聴くようにしていた。のみならず、「これは」という曲をカセットテープに録音したりもした。いわゆる「エアチェック」というやつだ。

ラジカセの録音ボタンに指を置いて、DJの言葉が終わるのを待って曲の頭に合わせて押すのだが、このタイミングがなかなか難しくてよく失敗した。

 

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そんなふうに熱心にやっていたけれど、本当のところはそれほど歌に興味があったわけではなく、友だちと話を合わせるのに必要だったからにすぎない。

だから必要がなくなれば、頭の中からきれいサッパリ消えてなくなってもいいはずなのだが……そうならないのが人間の記憶というものだ。

 

先日、スーパーで買い物をしている時、ふいに『セーラー服と機関銃』(1981)が流れてきた。

 

      さよならは別れの言葉じゃなくて   再び逢うまでの   遠い約束

 

薬師丸ひろ子来生たかおのオリジナルではなく、別の女性が歌っているものだったけれど、それを聞いた時、私の中になんともいえない感覚が生じた。

なんというか、それを聴いていた頃のあれやこれや、良いことも悪いことも、喜怒哀楽や、期待や不安や……とにかくそういったあの頃の記憶が、まったく意識できないくらいの超々高速で再生され、消えていき、後に残された私は痺れたようにその場に立ち尽くしている、まるで目の前を高速の列車が通り過ぎていったように……あえて言葉にするとこんな感じだろうか。

玉手箱を開けた時の浦島太郎の感覚はこんな感じかもしれない、と思った。

鳥肌が立って、大の大人がちょっと泣きそうになった。あれは何だったのか。

 

       愛のいた場所に   未練残しても   心寒いだけさ

 

なんだか最近昔のことばかり思い出しているような気がする。

ブログを書くようになって、いろんなところに記憶の扉があるのに気づいた。開けてみて嬉しくなることもあれば、開けなきゃよかったと思うこともある。

自分で開けなくても、ちょっとしたことで開いてしまうこともある。何がきっかけになるかわからない。

記憶は不思議だ。

 

        ただ心の片隅にでも   小さくメモして

 

 

今週のお題「わたしの好きな歌」

ピンクのヒヨコ

 

前回の記事で「自分はまだまだひよっ子だ」みたいなことを書いたのだが、その時ふと、ヒヨコのことを思い出した。

普通の黄色いやつではない。ピンクのヒヨコのことだ。

 

あれは祖父がまだ元気な頃だから、私が5、6歳ぐらいのことだったか。祖父が私を隣の市にある神社の縁日に連れて行ってくれたのだ。祖父と外出することなどめったになかったので、私はとてもテンションが上がっていたはずだ。

祖父は厳しい人だったけれど、私にはけっこう甘いところがあったので、たぶんいろんなものを買ってもらったと思う。さすがに大昔のことなので具体的なことは忘れてしまったが、一つだけはっきり覚えているものがある。それがピンクのヒヨコ、つまりカラーヒヨコだ。

 

今はさすがにないと思うが、私が子どもの頃には、お祭りや花火大会などの出店でカラーヒヨコというものを売っていた。

それは蛍光色のピンクや緑やオレンジなどの色をしたヒヨコで、一応説明しておくと、普通のヒヨコに染料やスプレーなどで着色した「商品」だ。

ヒヨコは生まれて間もなく雄と雌に選別される。雌のヒヨコは採卵用に育てられるが、雄は食肉としてもブロイラーに劣る(採算が合わない)ため、雌との交配用を除いてほとんどが殺処分される。その中で一部の雄は愛玩用として売られるのだが、ただ普通に売ってもたいして売れるものではない。そこで考えられたのが着色したカラーヒヨコというわけだ。(なんだか書いてるうちに気が重くなってきた。傲慢すぎるだろ、人間……)

そんな人間のエゴを体現したようなカラーヒヨコだが、子どもにそんなことが考えられるわけもなく、珍しさに惹かれて買ってしまうのだ。まあ、文字通り「子どもだまし」といっていい。私も素直にだまされて、ピンクと緑の二羽のヒヨコを買ってもらった。

 

家に連れて帰った二羽のヒヨコは、祖父が木材と金網で作ってくれた囲いの中に入れられて順調に育っていった。

実はカラーヒヨコは、染料の影響や、劣悪な環境で飼育されていたため、大人になる前に死んでしまうものも少なくないらしい。そういう意味では、私は運が良かったのかもしれない。

ところが、二羽のヒヨコは成長するにつれてだんだんと変化していく。鮮やかな蛍光色だった羽が次第に薄汚く色褪せていき、抜け落ちて、灰色がかった白い羽が見えてくる。日に日にその白い部分が広がっていき、最終的に、どこにでもいる普通のニワトリになってしまったのだ。

途中からその変化に気づき、とまどっていた私は、その結果にがっかりした。(もっとも、そのままピンクのニワトリになっていたら、それはそれで気持ち悪いのだが)

しかも周りの大人たちは、それを不思議ともなんとも思っていないようだった。私だけがそうなることを知らなかったのだ。なんだか裏切られたような気がした。

 

それからしばらくたったある日、私が学校から帰ってみると、 二羽のニワトリはいなくなっていた。

彼らは「煮物」になってその晩の食卓に上った。

私はショックのあまり泣きじゃくり、祖父に抗議した。

このニワトリは雄だから卵を産まないし、このままただ老いて死ぬだけだから、だったら食べてやった方がいい、というのが祖父の考え方だったと思う。

しかし私にとってそのニワトリはペットだったのだ。そしてそれ以上に、私のものが、私のいない間に、私になんの断りもなく処分されたことがショックだった。

今だったら、それもできるだけ私を傷つけないようにという祖父の配慮だったのかもしれないと思うが、その時はただただ悲しくて、そして口惜しかった。

私は食卓に着いたまま泣き続けた。しかしやがて泣き疲れ、泣き止んだ。

目の前にはまだ煮物が残されている。激しく泣いたので、腹が減っていた。

私はその肉をつまみ、口に入れた。おいしかった。また一つ口にした。そしてまた一つ。

悲しかった。でも、おいしかった。

私は人間の複雑さを少しだけ学んだ。

 

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初心のゆくえとブログの今後

 

今週のお題「2019年上半期」

 

この半年の間でもっとも大きな変化といえば、このブログを始めたこと。これに尽きる。(ということは、他にたいした出来事はなかったということだが)

なので、この機会にいままでのブログのことと、今後のことを考えてみた。

 

こういう経過報告みたいな記事は、本当ならもっとキリのいい数字(50記事とか100記事)の時にするものだと思うし、実際、30件目の記事の時に書くつもりだったのだが、その時はいろいろ迷っていることがあって、なんとなくタイミングを逃してしまった。

その迷いとは何か?  一言で言えば、いろいろと「欲」が出てきたのだ。

それを説明する前に、以前書いた1ヶ月目(記事10件)の時の記事を引用しておく。

 

paperwalker.hatenablog.com

 

 この頃はまだ無欲だったなと思う。「欲」というのは、つまり「もっとアクセスが欲しい!」ということだ。

これも前に少し書いたが、私はたいてい週に2回更新していて、更新した日は多少のアクセス(といっても20〜30ぐらい)があるが、それ以外の日はだいたい一桁だ。(一昨日は久しぶりにアクセス0だったので、逆に笑ってしまった)

かなりの零細ブログといっていい。店ならとっくに潰れているレベルだ。

最初の頃はそんなこと気にならなかった。むしろ逆に、記事を更新していない日に人が来ることの方が不思議だと思っていた。

しかしだんだん記事数が増え、また他の人のブログを読んでいるうちに数字が気になるようになってきた。

気にしてもしょうがない、他人は他人、自分は自分、とは思うけれど、それでもやっぱり気になってしまう。(特に運営報告記事など見ると)

誰かが書いていたけれど、ブログの存在を知ってもらうためにも、せめて最初の1ヶ月ぐらいは無理をしてでも毎日更新をした方が良かったのかもしれない、とも思った。

でもそんな無理をしていたら、1ヶ月ももたずにブログ自体が嫌になって書くことを止めていたと思う。今のペースだってヒィヒィ言ってるんだから。

 

なぜ数字を気にするのか?

私はアフィリエイトアドセンスもやっていないので、数字が増えたところで利益になるわけではない。

ではなぜ?  たぶん単純な「自己満足」あるいは「承認欲求」のためだと思う。

もっとたくさんの人に「書く私」を認めてもらいたい、いい文章、おもしろい記事を書く奴だと思ってもらいたい、ということなのだと思う。(実際にそんな記事が書けているかどうかは別にして)

変なことを言うようだが、私は(精神的に)なかば「隠者」のように生きているつもりだったのに、そんな自分にまだこれほど「他人に認められたい!」という「欲」があったのかと思うと、ちょっと驚きでもあり、少しがっかりでもある。「承認欲求」は誰にでもあるものだと思うが、それが強すぎるのはやはりなんとなく浅ましい。

 

そもそも私は何のためにブログを始めたのか?

私の「初心」はどんなものだったのか?

あまりはっきりした回答は思い浮かばない。忘れてしまったのか、最初からなかったのか。

「初心」なんて、ないならないで構わないのだが、ただ、好きな物書き(ブロガーではない)や好きな文章があって、自分もこんな文章を書いてみたいな、書けるかな、書いてみようかな、といった漠然とした憧れを抱いているところにブログという手段を見つけた、というようなことだったのかもしれない。

たぶんそのくらいのことだったのだろう。ブログなんて、そのくらいのことでいいような気がする。

しかし、そのくらいのことで始めたブログでも、それを読んでくれる人たちが(少数ながら)いる。こんな品揃えの悪い古本屋みたいなブログにも、足繁く通ってくれる人がいる。本当にありがたいことだ。

私は、不特定多数のアクセスがどうこう言う以前に、その人たちに向けて、その人たちの顔を思い浮かべなら書くべきではないのか。(アイコンしか知らないけど)それはもちろん内輪ネタとか楽屋オチということではなくて、あくまで姿勢や気持ちの問題だ。 そして、それが逆説的に、見知らぬ誰かにも「伝わる」文章になるのではないか。そんな気がする。

 

考えてみれば、3か月30記事などブログ年齢(?)で言えばまだまだハナタレ小僧、ひよっ子といっていい。(実際にはけっこうなオッサンだが)

数字のことで思い悩むのはまだ早い。もっと記事を書いて、一人前になって、自分の羽で飛べるぐらいに成長してからでいいのだ。(ヒヨコが一人前〔ニワトリ〕になっても飛べないけど)

今はまだ数字なんか気にせずに(気になるけど)ただ記事の質と量を充実させることだけを考えよう……と、自分に言い聞かせているところだ。

思いのほか長くなってしまったので、肝心の記事の内容についてはいずれまた別の機会に書いてみたい。

とりあえず、いまはこんなことを考えている、ということで。

 

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米を研ぐ

 

自分でご飯を炊くようになって長いけれど、いまだに「無洗米」というのを使ったことがない。

 

私の場合、自炊といっても完全な手抜き料理で、一番よく使う調味料が「めんつゆ」ということでもそれがどんなものかは推して知るべしなのだが、それなのに手間のかからない無洗米は使ったことがない。 

特に理由があるわけではないのだが、一つだけ気になっているというか、気に入らないことがあるのだ。

それは「無洗米」という名前。

なぜなら、米は洗うものではなく研(と)ぐものだ、と思っているからだ。だから名前をつけるのなら「無研米」が正しいのではないか?

いま画面越しに「どっちでもいいじゃん!」という声が聞こえてきて、自分でもつまらないことにこだわってるな、とは思うけれど、気になるのだから仕方がない。

 

ところが、ちょっとネットを見てみると、米を研ぐことを「研ぎ洗い」と表現している人もいて、そうなると「米を洗う」という言い方も半分ぐらいは正しいのかな、という気もしてくる。

そもそも、米はしっかり研ぐものだ、というのは精米技術が未発達だった昔の考え方で、現在は技術的に進歩改良されているので、そんなに力を入れて米を研ぐ必要がない。むしろ研ぎ過ぎると栄養が失われるし、米が割れたりして良くないらしい。

なんだか「研ぐ」にこだわる自分が偏屈な頑固ジジィみたいだ。

 

ところで、無洗米というのはいつ頃から普通に家庭で使われるようになったのか。気になったのでネットでざっと調べてみた。

無洗米の開発自体は意外に古い。

20世紀の初め頃には精米を研がずに調理できるような加工技術がいろいろ試行され、その一部は陸軍でも用いられたが普及はしなかった。

戦後もさまざまな方法が研究されてきたが、やはり一般に普及するには至らず。

それがようやく普及し始めたのが1990年代に入ってからで、特に「BG精米製法」という技術の開発が大きかったという。(この項、Wikipedia参照)

さらに詳しく知りたい人は、NPO法人「全国無洗米協会」(そんな組織があるんだ)のホームページを参照していただきたい。

 

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全国無洗米協会の認証マーク 「エコメちゃん」


 また、無洗米を使うメリットやデメリットに関しても、各種ホームページやまとめサイトがあるので、そちらをどうぞ。(自分で書けよ! と思われるかもしれないが、残念ながら私にはそんな「お役立ち情報」記事を書く能力がないので、悪しからず)

  

人は易きに流れるものだから、いつか米を研がないのが当たり前になるのかもしれない。

まあ、たしかにめんどくさいと思うこともあるし、便利になることは悪いことではないのだが、あの米を研いでいる時の手の感触と音は、なんというか、おいしいご飯の予感みたいなものを感じさせてくれるような気もする。

こだわりというほどのものではない。

たぶん「昔の人」の感傷にすぎないのだろうけど。

 

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気がつけばいつも青を選んでいる

 

今週のお題「わたしの好きな色」

 

好きな色は?  と訊かれると、ほぼ即答で「青」と答える。

青といっても水色や紺など様々で、そのどれもが好きだから「青系統」と言った方が正確かもしれない。

文房具や雑貨、洋服なども、気がつけば青系統のものを選んでいる。服などは、あまりにも青いものが多いので、ときどき意識して暖色系のものを買ったりするけれど、1、2度袖を通したらそれっきりで、やっぱり青いものを着ている。

それに、見ての通り、このブログのテーマも青で、何色もあったはずなのだが結局青に落ち着いた。

まあ、青という色はなんとなく無難な感じがするし(特に服はそうだ)、いちいち理由を考えることもないのかもしれないが、ふと、疑問に思うことがある。

私は好きで青を選んでいるのではなく、選ばされているのではないか?

 

私が子どもの頃は「男の子の色」と「女の子の色」がはっきり分かれていた。

一番わかりやすいのがランドセルだ。男の子は「黒」女の子は「赤」、これはもう揺るぎない決定事項で、疑問を感じることさえなかった。(だから最近のカラフルなランドセルを見ると、羨ましいというよりも、困惑してしまう)

他の持ち物や洋服もそうで、男の子なら青系統、女の子なら赤系統というのが一般的だったと思う。緑や黄色は中性的(あるいは両性的)な感じだっただろうか。

例えば男の子が赤系統の筆箱なんか持っていたら、ちょっと馬鹿にされていたような気がする。

こういう区別は私の周辺(つまり田舎)だけではなく、70年代あたりでは全国的な風潮だったと思うのだが、どうだろう。

とにかくそういうことで、私の頭の中には「男子は青を選ぶ」ということが刷り込まれていて、それで大人になった今も無意識に青を選んでいるのではないか、と疑っているわけだ。

 

まあ、色に限らず、そんなことを疑いだしたらきりがない。

自分の自由意志だと思っていたら、実は何者かに誘導されていた、なんてことはありがちなことだ。 

それに自分の「好き」という気持ちを疑うのは、ちょっと悲しい。

だから、やっぱり青が好きってことで。

 

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