何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

立って半畳寝て一畳

 

学生の頃は6畳+4畳半(台所)のアパートに暮らしていた。

しかし整理整頓能力が皆無の私はその二間をきっちり管理できず、6畳の方は布団を敷くスペースを除いては本と物で溢れ(その布団も最終的には「万年床」になったのだが)、4畳半の台所は不要になったゴミ置き場と化していた。

そんなアパートに、学校を卒業してからも20年近く住んでいた。

 

その後いろいろあって田舎の実家(一戸建)に戻り、さらになんやかんやあって今ではそこで独りで暮らしている。

実家には大小合わせて8部屋ぐらいある。私が子どもの頃には、ここで最大7人が生活していた。それがいまや私1人だ。当然その広さを持て余すことになる。 

主に生活に使っているのは(台所を含む)3部屋ぐらいで、あとの部屋は物置状態になっている。しかもそこにある物の9割ぐらいは不用品のような気がする。要するに、学生時代のアパートが一戸建に変わっただけで、まったく進歩していない。

 

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家の狭さを嘆く人は多いかもしれないが、無駄に広い家というのも困りもので、スペースがあるからついつい無駄な物を買ってしまう。

それでもきちんと片付けられればいいけれど、私のように片付けられない人間は、溢れかえった物の中で途方に暮れる。

眠っている間に小人が出てきて片付けてくれないかなと思ったりするが、実際に出てくるのはクモとゴキブリぐらいなものだ。

死ぬまでこの家で暮らすにしても、老いる前に引っ越すにしても、どちらにしてもいつかは片付けないといけないのだが……。

 

「立って半畳寝て一畳」という言葉がある。(「起きて半畳」ともいう) 

人間には、立っているときには半畳(畳半分)、横になったとしても一畳のスペースがあれば十分という意味だ。そんなに広い場所はいらない。

またこの後に「天下取っても二合半」と続くこともある。

人間は一日に二合半の米があればなんとか生きていける。それは庶民でも天下人でも同じことだ。(「二合半」については、人間が一食で食べることができる米の量とする解釈もある)

いずれにしても過剰に「持ちすぎる」ことは無意味ということだ。

 

場所にしても、物にしても、人間に本当に必要なものはそう多くない。

そういう気持ちで生きていきたいものだ……と言いながら、つい先日、置き場所があるのをいいことに、また大量の本を購入してしまった。(前回の記事参照)

まったく、どの口が言うか……。

 

今週のお題「間取り」