この前、物欲のことを考えていたら、不意にタレントの岸部四郎(時期によっては「シロー」と表記)さんのことが頭に浮かんだ。
そういえばあの人、古書や骨董についての本を書いてたな、と思うとどうしても読みたくなって、「日本の古本屋」で探して注文してしまう。
岸部四郎『岸部のアルバム 「物」と四郎の半生記』(夏目書房、1996)
読む前は、いわゆる「タレント本」だと思って少し軽くみていたのだが、実際はけっこう読みごたえがあるおもしろい本だった。
岸部さんは1949年、京都で生まれる。
69年、当時のグループ・サウンズの人気グループだった「ザ・タイガース」に途中から参加。
71年にザ・タイガースが解散してからは、司会者や俳優として活躍する。(私と同年代の人なら『西遊記』の沙悟浄役が印象に残っているのではないだろうか)
あるとき、幕末を舞台にしたドラマに出演したことをきっかけにその時代に興味を持ち、次第にのめり込んでいく。興味の対象は幕末から明治に拡がり、明治の文豪に移る。その頃から古書(初版本)の蒐集が始まる。
さらに文豪たちが生活の中で使っていた物にも興味を持ち、そこから「民芸」や「李朝」(昔の朝鮮の王朝)の器物なども集めだす。
とにかく物へのこだわりがすごい。
この本では、初版本や骨董の他にも、時計やブリキの玩具、ヴィトンのトランク、ギターにジーンズとさまざまな蒐集品の話が出てくる。
ある時期には、アパートの一室を借りて、そこに漱石の書斎をイメージした趣味部屋を作っていたほどだ。この本のカバー(上の画像)に描かれているような部屋を実際に作っていたらしい。部屋に入ったらわざわざ和服に着替えるほどの徹底ぶりだ。
筋金入りの道楽者といっていい。(いい意味で)
そんな岸部さんだったが、1998年(この本が出版された2年後)、自己破産をしてしまう。
当時の報道は、上記のような岸部さんの趣味を紹介して、こういった「浪費」が自己破産の原因だと言っていた(と記憶する)。
もちろんそれが主要な原因には違いない(それは本人も認めている)が、実際はこのほかに、連帯保証人になったり事業に失敗したりと、さまざまな要因が重なった結果のことだ。
しかし世間には「浪費の果てに身を持ち崩した道楽者の末路」という印象が強く残ったのではないかと思う。
道楽者という言葉は普通いい意味では使われない。しかし私はこの言葉が好きだ。
日本人はなんでも「道」にしたがる。柔道や剣道のような武道はもちろん、茶道、華道、書道など文化系の活動もそうだ。「求道者」という言葉があるように、「道」にはなにかストイック(禁欲的)なイメージがある。
しかし道楽者は文字通り、その「道」を楽しむことができる者だ。
「道」を楽しむためにはある種の能力というか、センスが必要になる。(多少の財力も必要かもしれないが)誰にでもできるというものではない。
だから、他人を道楽者と言って非難するのは、楽しむセンスがない野暮天のやっかみのように私には思える。
私は道楽者になりたい。(お金はないけど)
現在、岸部さんは老人ホームで暮らしているという。(奥さんは他界)
その生活を窺い知ることはできないが、かつて所有していた物への愛着をまだ持っているだろうか?
それとも、物への執着は一切なくなってしまっただろうか?
どちらが幸せなのか、私にはわからないけれど。