何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

祝日会議 ③

 

(前回の続き)

擬人化された祝日たちによる『祝日会議』。前回までの記事はこちら。

祝日会議 ① - 何を読んでも何かを思いだす

祝日会議 ② - 何を読んでも何かを思いだす

 

 

さて、ここでほかの祝日たちの様子も見てみよう。

テーブルの端の方にきれいな白髪の高齢の女性が2人仲良く並んで座っている。顔も背格好もそっくりで、着ている着物の絵柄以外はまったく同じである。

桜の柄の着物が「春分の日」、菊の柄の着物が「秋分の日」で、2人は双子の姉妹なのである。

彼女たちは会議の成り行きを微笑みながら見守りつつ「あらあら」とか「おやおや」とか「まあまあ」とかつぶやいている。そしてときどき2人で声をそろえて『ほほほほ』と上品に笑う。

この奇妙な集団の中でもひときわ浮いているというか、どこか超然としているというか、不思議な雰囲気の人たちである。

 

超然としているといえば、「春分の日」の隣に座っている老人もそうだ。この人がさっき名前が出た「昭和の日」である。

「昭和の日」というだけあって、外見は「あの人」にそっくりだ。少し気弱な感じがするが、丸眼鏡の奥の瞳は優しげで、常に微笑みを絶やさない。

この人は会議室に入った時から一言も言葉を発していない。誰とも口をきいていない。別にお高くとまっているというわけではなく、ただ自分から人に話しかけず、また人からも話しかけられないので黙っているだけなのである。

何を考えているのかわからないが、いつもニコニコしている。

まあ、そういう人なのだ。

 

秋分の日」の隣に座っている老人(この辺は老人がかたまっている)は「敬老の日」なのだが、この人もほとんど話には参加せず、着席してからずっとうつむいている。気分でも悪いのかと心配になるけれど、実はテーブルの下でずっとスマホをいじっているのだ。

このスマホは今年孫たちからプレゼントされたもので、彼はおおいに感激し、一生懸命使い方を覚えて、いまでは一通り使いこなせるようになっている。

なかでも一番気に入っているのが「LINE」で、彼は暇さえあれば(というか、暇しかないのだが)孫たちに「LINE」を送っている。いまはこれが楽しくてしょうがない。いい時代になったものだ、やっぱり長生きはするものだなと思う。

もっとも、あんまり頻繁に「LINE」を送ってくるので、最近では孫たちもさすがにうんざりしているのだが、彼はぜんぜん気づいていない。

 

ところで今回の会議には2人の欠席者がいる。

1人は最近新しくなった「天皇誕生日」で、これは事前に「公務多忙につき欠席」という連絡があったのでいいとして、問題なのはもう1人のほう、「建国記念の日」である。

実はこの「建国記念の日」は、こんなふうに「祝日会議」が開かれるようになってからまだ一度も出席したことがないのだ。のみならず、他の祝日たちは誰一人その人を見たことがなく、顔も知らないのである。

あるいはそんな人は実在しないのではないかという噂まであるのだが、しかし会議には毎回ちゃんと彼の席が用意されている。なんとも不思議な祝日なのである。

 

そうこうしているうちに、今回の会議もどうやら無事に終わったようだ。

 

(つづく)