何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

必要と工夫

 

唐突だが、戦争中には多くのスローガン(標語)がつくられた。

その多くは「欲しがりません、勝つまでは」や「ぜいたくは敵だ!」のように、国民に我慢と献身を強いるもので、いま聞いてあまり気持ちの良いものではない。

しかし、その中でひとつだけ、私が気に入っているものがある。

 

足らぬ足らぬは工夫が足らぬ

 

というのがそれだ。

これは要するに「(物資不足で)あれが足りない、これが足りないと文句ばっかり言わずに、自分たちでなんとか工夫しろ!」という、体制側の開き直りというか、ある意味逆ギレみたいな言葉なのだが、私はなんとなくこの言葉が憎めないというか、ちょっとユーモラスな感じがして、「まあ、そうかな」という気がしてしまう。(実際には、この標語は一般公募されたものだが)

 

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話は飛ぶけれど、以前このブログで取り上げたオジロマコト猫のお寺の知恩さんという漫画にも気に入っている言葉がある。

夕飯でハンバーグを作るのに「みじん切り器」があったら便利だと言われたときの、知恩さんの返事。

 

あったら便利は、なくても平気。

 

というもの。

「あったら便利」な物というのは、必ずしも必要不可欠というわけではなく、手間や時間をかければ「なくても平気」な物だ。

この言葉に出典(元ネタ)があるのかどうかは知らないが、これも「なるほど、たしかにそうかも」と思わせる。

 

paperwalker.hatenablog.com

 

で、何が言いたいのかというと、最近の新型コロナウイルスをめぐる話だ。

これによって生活のスタイルを大きく変えざるを得なかった人も多い。(私のようにほとんど変わらないという人もいるだろうけど)

それもどちらかといえば、不便や不自由を強いられるような形での変化だ。

しかし、やみくもにあれが足りない、これができないと文句を言ってイライラするのは精神衛生上よろしくない。ここはひとつ前向きに、この災禍を、自分の生活を見直すきっかけにしてみてはどうか? 

自分の生活を「ふるい」にかけて、「本当に必要な物事」と「それほどでもない物事」を見定める。

そして「本当に必要な物事」に不足や不便があれば、なんとか工夫して補えないかと考える。

もちろん工夫といっても限界があるけれど、「なんとかなること」と「どうにもならないこと」をはっきり区別するだけでも意味があると思う。

「なんとかなること」はなんとかすればいいのだし、「どうにもならないこと」は……やっぱりどうにもならないのだから。