何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

あの日に帰りたい?

 

今週のお題「平成を振り返る」……ということだが、正直なところ、あまり振り返りたくない。

 

平成の前半ぐらいの間、私はフリーターをしていた。

学校を卒業した頃はまだバブルの余韻みたいなものがあって、ちゃんと就職しようと思えばできたんだと思う。しかし、なんだかんだあった後に、結局フリーターみたいになってしまった。

フリーターという言葉は昭和の終わりぐらいから使われ始めて、平成3年には『広辞苑』(第4版)にも載ったらしい。その軽さというか、薄っぺらな感じも含めて、平成らしい言葉と言えるかもしれない。

 

その後は知っての通り不況になった。新卒でさえ「就職氷河期」などと言われていたのだから、私など氷漬けにされたネアンデルタール人みたいなものだ。

いや、世の中のせいにするつもりはない。

確かに不況で割りを食った人は多かったと思うが、私の場合は個人的な理由だ。

モラトリアムの度が過ぎたということだ。

 

ときどき、20歳ぐらいに戻りたいと切実に思うことがある。そのくらいから人生をやり直したい、と。

そうしたら今度こそ勤勉に、向上心を持って、誠実に生きよう。もっと社交的になって、できれば要領よく生きたい、と。

しかし、時間を戻して人生をやり直すことができたとしても、結局今とたいして結果は違わないかもしれない、とも思う。多少の違いはあるだろうけど、また同じような道を歩きそうな気もする。

人間の性根なんて、そうそう変わるものではない。

 

人生でやり直せることなんか何一つないのかもしれない。

過ぎた時間はどうすることもできない。

昨日の夜食べたラーメンを、カレーに変えることはできない。

しかし、今夜カレーを食べることはできる。

その意志さえあれば。

 

なんだか愚痴みたいになってしまった。

忘れてください。

 

f:id:paperwalker:20190421095322j:plain