何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

路地裏の古本屋のように

 

ブログを始めて1ヶ月が経った。

多くのブロガーさんは、始めて1ヶ月とか3ヶ月、あるいは記事が50件とか100件になった「節目」に自分のブログを振り返っているので、私もそうしようと思う。

 

といっても「数字」は問題にならない。

そもそも記事の件数が少なすぎる。(この記事を含めてちょうど10件)だいたい一週間に2件のペースだ。

毎日更新している人から見ればお話にもならないペースだが、私にとってはこれでも上出来、むしろハイペースすぎるぐらいだ。

今後もこのくらいのペースで書けたらいいな、と思う。

 

収益というものもない。

もともとブログでお金を稼ぐという発想がないし、いまだにどういう仕組みでブログがお金になるのかもよくわからない。

 

アクセス数は合計で130ぐらい。

最初の1ヶ月で、これが多いのか少ないのかもよくわからない。(記事数が少ないし)

しかし、(のべ)130人が私の書いた文章を読んでくれたということに対しては、これはもう、恥ずかしさと感謝の気持ちしかない。

好きなことを好き勝手に書くだけ、とは思いつつ、やはり誰も読んでくれないのは寂しい。

最初の頃はアクセスがほとんどなかったので泣きたい気持ちだったが、記事が増えるにつれて、アクセス数も少しずつ増えてきた。

「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ということか。(ちょっと違うか)

ましてや「スター」を付けてもらったり、「読者」になってもらったりしたことは望外の喜びで、うまく伝わらないかもしれないが、本当に嬉しいし、励まされる。

 

さて、肝心の記事の内容についてだが、これは不満というよりも、「どうしてこうなった?」といった感じだ。

当初は本の感想をメインに考えていたのだが、気がつけば雑記・雑文ばかり。感想を書いた本も、なぜか本来守備範囲外の時代小説だけ。始める前のイメージとかなり違っている。

しかし、これはまあ、これでもいいかな、という気もしている。

計画通りきっちりやるよりは(できないけど)、どこに流れ着くのかわからない方が書いている本人も飽きなくていい。

 

自分でブログを書くようになって、人のブログを読む時の「読み方」も少し違ってきた。

今までも人のブログを読むことは好きだったのだが、最近では内容はもちろん、文章の読みやすさやレイアウトの仕方、画像の使い方などを意識するようになった。

といっても、それを自分のブログの参考にするかというと、そうでもない。

私は自分の「個性」というものをあまり信用していないが、それでも、書き続けているうちに自分のスタイルみたいなものができればいいな、と思っている。

 

1日に何百ものアクセスがあるメジャーなブログは、例えるなら、駅ビルに入っている大型新刊書店のようなものだ。

店内は明るく活気があり、毎日溢れるほどの新刊が入ってくるし、多くの客がひっきりなしにやってくる。

それに比べて私のブログは、路地裏の古本屋といったところか。

埃っぽくて薄暗く、奥の帳場には仏頂面をしたオヤジが座って新聞を読んでいる。(あくまでも昭和の古本屋のイメージです)

客は1日に10人くるかどうか。誰も来ない日だってある。

しかし、古本屋は客が来なければ店をたたむしかないが、ブログは誰にも読まれなくても潰れることはない。(私の心が折れない限り)

 

この1カ月、私のブログを訪れてくれた皆さんにあらためてお礼を言います。

ありがとうございました。

これからも気が向いた時に覗いてみてください。

仏頂面して待っております。

 

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