今、荻原魚雷『古書古書話』(本の雑誌社、2019)を読んでいる。
私は荻原さんの書くものが好きで、本はもちろん、ブログ『高円寺文壇』の更新も楽しみにしている。
荻原さんの文章はちょっとテンション低めというか、(失礼かもしれないが)ときどきくたびれたような感じさえするのだが、それが読んでいて妙にしっくりくる。
『古書古書話』は『小説すばる』に2008年から2018年まで10年余にわたって連載されていたエッセイを中心に編まれている。
1つが4ページ(原稿用紙6枚)ほどの長さで、それが100篇あまり収録されている。スキマ読書にはもってこいの本だ。
タイトルの通り、古本を中心にした話なのだが、そこで採り上げられた本はバラエティに富んでいるというか、実に雑多だ。
その著者を挙げていくと、吉行淳之介、木山捷平、山口瞳といった日本の作家、アップダイクやグレアム・グリーンのような外国の作家、竹中労や虫明亜呂無のような文筆家、松本零士、藤子不二雄、赤塚不二夫といった漫画家、それだけではない、関根潤三(元プロ野球選手・監督)、岸部四郎(古書マニアのタレント)、横井庄一(終戦を知らなかった元日本兵)といった文筆を本業としない人たち、何者なのかよくわからない人たち、無名の青年の日記などなど……。
これでもごくごく一部だ。
文学好きとして納得できる本もあれば、「こんなのよく買うなぁ」と思う本もある。
世の中にはこんなにいろいろな本があるのかと、いまさらのように思ってしまう。
これらの本はそれぞれ何の関係もなく存在していたものだ。
それが荻原さんが読んだことによってつながって、関係が生まれたことになる。
読者とは本と本とをつなげる存在でもあるのだ。
本は一冊で完結しない。一冊の本は無数の本につながっている。つながっているのは本だけではない。文学、実用書、漫画、音楽、将棋、野球、釣り、家事。ジャンルはちがっても掘り下げていけば、かならずどこかでつながる。人が歩いた後に道ができるように読書の後にも道ができる。(中略)すぐにはつながらなくても、忘れたころにいつの間にかつながっていることもよくある。(p.452)
人と本がつながり、本と本がつながり、(本を介して)人と人がつながっていく。
そうやって世界が広がっていく。
読書の楽しさはそこにある。