何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

呪いと読書

 

ある人からちょっと嫌なことを言われて気が塞いでいる。

言った人に悪気があるわけではなく、むしろ私のために言ってくれたのであり、また言葉の内容もしごく真っ当で常識的なことに過ぎないのだが、それが私を鬱屈とさせている。

 

「呪いのようだな」と思う。

 

大げさではなく、またオカルトでもない。呪いは普通にどこにでもある。

私のマイ定義(一般的かつ普遍的定義ではないかもしれないが、自分の中で通用している定義)では、「呪い」とは、

 

言葉、あるいは記号を用いて、他者の心身の自由を奪う、あるいは制限するもの

 

である。

 

例えば誰かが友達に悪ふざけで「死ね」と言ったとする。

もちろん本気ではないし、言われた方もそれを間に受けて死ぬわけではない。しかし、その言葉がトゲのように心に刺さり、心を不自由なものにしたとすれば、それは立派な呪いである。

ネガティヴな言葉だけではない。

誰かが誰かに「愛してる」と言ったとする。

言った人は真摯に誠実に言っている。しかし結果的にその「愛してる」が、言われた方の心や行動の自由を奪ったり制限したとすれば、それもまた呪いではないのか。

そう考えると、どんな言葉だって呪いになりうるし、世の中は呪いに満ち溢れている。

 

ではそのような呪いを解く方法はあるのか?

言葉によってかけられた呪いを解く(無効にする)ためには、自分の言葉を鍛えるしかない。

言葉を鍛えるためには、本を読むしかない。

 

だから私は本を読む。

誰かの呪いにかからないように。

誰かを不用意に呪いにかけてしまわないように。

すでにかけられている呪いを解くために。

 

 

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