何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

なんでもないようなモノが、思い出だったと気づく〜「大盛りいか焼そば」

 

エースコックの「大盛りいか焼そば」が3月をもって生産を終了する、というニュースを聞いて、いささか感慨を覚えた。

 

「大盛りいか焼そば」は1988年2月に発売された。私はその年の4月に大学に入学し、独り暮らしを始めている。

貧乏な学生だから基本的に自炊ということになる。まあ、自炊といってもご飯を炊いて惣菜を買ってくるぐらいのことだが、それさえもめんどうだという時もある。

外食は問題外。コンビニや弁当屋の弁当も高い。となれば、いきおいカップ麺ということになる。

私はラーメンなどの汁物より焼そばの方が好きだった。それまではカップ焼そばとおにぎりを買ってくるのが普通だったが、そこに「大盛りいか焼そば」が登場する。

なんといっても「大盛り」である。その言葉が20歳前後の男の胃袋に訴える力は絶大だ。しかも普通サイズ+おにぎりより安くあがる。

いや、ときには「大盛り」+おにぎりということもあった。なんという食欲か。

さすがにいつも食べていると飽きるので、ときどき刻んだネギを入れたり、カツオぶしをトッピングしたり、マヨネーズを足したり(高カロリー!)といった小賢しい工夫をしていた。

貧乏くさい話だ。とりたてて楽しいこともなく、無駄に時間を潰していたような時期だったが、それでもそれが私にとっての「学生時代」だった。

 

あれから30年……。(きみまろ風)

 

最近はあまりカップ麺自体食べなくなった。年齢による食べ物の嗜好の変化だと思う。

それでもときどきは食べる。特に変わった味の新商品が発売されたりすると、好奇心に負けてつい買ってしまう。

しかし、おいしい(あるいは、おもしろい)と思うのは最初の3口か4口ぐらいまでで、その後は「もういいや」と思いつつ、捨てるわけにもいかないので惰性で食べるのみ。

そんな感じなので、「大盛りいか焼そば」もずっと食べていなかった。存在自体を忘れていたと言っていい。

ところが、それがなくなってしまうとなると、急に寂しくなる。そしてそれをおいしく食べていた「あの頃」のことを思い出す。

 

「平成」が「令和」に変わると聞いてもとりたてて何も思わないけれど、「大盛りいか焼そば」がなくなると聞くとちょっと動揺し、時代の変化と、自分が歳をとったことを実感してしまう。

そういうものだ。

 

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