何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

根深汁

 

先日、職場で長ネギをもらった。

おすそ分けの、そのまたおすそ分けみたいな感じで配っている人がいたので、私もありがたくいただいて何本か家に持って帰ったのだが、考えてみると、そんなに長ネギがあっても使い道がない。

タダでもらえる物なら後先も考えずにもらってしまうという、貧乏人の悲しい性(さが)である。

仕方がないので、一本だけ残して残りはぜんぶ一口大に切って冷凍保存することにした。冷凍にすると味や食感が落ちるのかもしれないが、傷ませるよりはいい。

そして残した一本を使ってとりあえずみそ汁を作った。長ネギのみそ汁、いわゆる「根深汁」である。

 

(「長ネギ+青ネギ+油揚げ」のみそ汁)

 

根深汁といって真っ先に思い出すのが池波正太郎剣客商売だ。

(本が手元にないのでうろ覚えで書くと)主人公・秋山小兵衛の息子・大治郎は剣術修行の旅から帰って道場を開いたのだが、なかなか門弟が集まらない。当然収入もないので質素に暮している、といえば聞こえはいいが、早い話が貧乏なのだ。

その大治郎がいつも食べているのが根深汁なのである。ネギだけ入ったみそ汁に、ご飯と漬物。それで毎日を過ごしている。

息子の自立のためにあまり干渉しないようにしている父の小兵衛も、そんな食生活を見るとさすがに心配になってくるのだが、当の大治郎はいたって平気で、毎日飽きもせずにうまそうに根深汁を食っている。

貧乏の象徴のような根深汁でも、池波正太郎が描くとうまそうに見えるから不思議だ。

 

また「根深汁」は俳句の冬の季語にもなっている。

長ネギなんか年中あるような気もするのだが、やっぱり冬場が旬ということなのだろうか。たしかに根深汁は体が温まりそうだ。

私は『歳時記』を持っていないけれど、ネット上に季語ごとに句を集めたサイトを作っている人がいるので、検索して「根深汁」を使った句をいろいろ読むことができた。いくつか印象に残った句を挙げてみる。

 

  わがくらしいよいよ素なり根深汁(深川正一郎)

  一汁の掟きびしや根深汁(村上鬼城

  老夫婦いたはり合ひて根深汁(高浜虚子

  憎むことほとほと疲れ根深汁(木田千女)

  堆書裡の書物くづるる根深汁(山口青邨

 

やはり「根深汁」は「質素」や「貧乏」というイメージに結びついていることが多いようだ。(私がそういう句を好んで選んだところもあるのだけれど)

また、家族のことを詠んだ生活感のある句も多い。

それでは最後に、調子に乗って私も一句。

 

  妻も子もなくて夕餉の根深汁

 

あれ、なんだろう? 涙でタブレットが見えない……。