何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

小よく大を制す

 

前回、春の陽気に誘われて(?)本屋と古本屋に行ってきたという話をしたのだが、その夜、別の事で「啓蟄」という言葉を検索していたら、こんな俳句に行きあたった。

 

啓蟄や書肆ニ三軒梯子して(安住敦)

 

啓蟄」は二十四節気の一つで、暖かくなって冬籠りしていた虫が這い出てくる頃(現在の暦ではだいたい3月5日か6日)をいう。俳句では春の季語になる。

暖かくなって、出歩くのにもいい気候になり、本屋を二、三軒梯子したという、ただそれだけの単純な句のように思える。

しかし(控えめながら)うきうきした「気分」が伝わってくるし、「ニサンケン」という言葉のリズムもなんだか弾んでいるような感じがする。

私がとくに本屋が好きだからかもしれないが、なんか「いい感じ」の句だ。

 

この句を見つけたとき、「ああ、やられたなー」と思った。

前回の記事で、私が1000字あまり費やして表したかった「気分」を、わずか17文字で簡潔に表されてしまったと思ったのだ。

こういう事はよくある。

 

ふと、「小よく大を制す」という言葉が頭に浮かぶ。

格闘技なんかで使われる言葉で、小柄な選手が体格差のある大きな選手に勝ったときによく言われる。はっきりした典拠(中国の古典とか)がある言葉かと思っていたが、そういうわけではないらしい。

たとえば相撲でも、小兵の力士が巨漢の力士に勝ったときは、一際大きな歓声が起こる。日本人はとりわけこういう場面が好きなような気がする。

(少し適当なことを言うけれど)こういうのも日本人の「小さなもの」に対する美意識のあらわれなのかもしれない。

 

(もう少し適当なことを言えば)何百字、何千字費やしてもうまく言い表せない「気分」や「感覚」を、17文字でピタリと表す俳句の快感も、この「小よく大を制す」に通じるものがあるような気がするのだが、どうだろう?