何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

自転車にはもう乗れない

 

休日の午後、今日も今日とてブックオフへ。

昨日の雨のせいか、空気がひんやりしている。ひと雨ごとに寒くなっていくようだ。

パーカーを一枚よけいに着てきてよかった。これからまた原付には厳しい季節になっていく。

 

交差点で信号待ちをしている時、何気なく道を行き交う自転車を眺める。

いまさらながら、いろんな人が自転車に乗ってるなあと思う。制服の高校生、お洒落な若者、あまりお洒落ではない若者、買い物帰りの女性、少し危なっかしいおじいさん、などなど。

ふと、最後に自転車に乗ったのはいつだったか? と思う。

 

 

私が車の免許を取ったのは18歳の夏である。

大学に入って最初の夏休み、1ヶ月ほど帰省している間に地元の自動車学校で講習を受けた。当時は地元に帰った時に免許を取る同級生が多かった。(その後地元の自動車学校はなくなってしまった)

大学のある街に帰ってすぐに原付を買った。(正確には親に買ってもらった)

それから30年以上、ずっと原付が生活の「足」である。自転車にはほとんど乗っていない。

 

いつから自転車に乗り始めたのか、はっきりとは覚えていない。

最初はもちろん子供用の補助輪付きのやつだった。小学校の低学年の頃に、家の前の細い道で、父親と一緒に補助輪なしで乗れるように練習した。建設現場と農業という二つの重労働で毎日疲れていただろうに、あの頃は父親がいろんなことにつきあってくれた。すっかり忘れていたけれど。

中学校は田舎らしくヘルメット付きの自転車通学だったし、高校の時は最寄りのバス停までの短い距離を自転車で通った。自転車は生活に欠かせないものだった。

そして、上に書いたように、大学に入って自転車を卒業した。

 

今もときどき自転車を買おうかと思うことがある。

原付がパンクしたり故障した時の保険というか、「第二の足」として一台持っていた方がいいような気もする。実際にそういう困った状況になったことも一度や二度ではない。

しかし、現実的に考えるとちょっと躊躇してしまう。

安い買い物ではないということもあるけれど、「乗れるかな?」という疑問というか、不安があるのだ。

原付に乗っているのだから同じだろう、と思う人もいるかもしれないが、いやいや、そう簡単にはいかない。

何が不安といって、あのタイヤの細さがなあ……。みんなよくあんな細いタイヤでバランスが取れるものだ。ちょっとした段差でもすぐにバランスを崩して転びそうに思える。あれで人や車にぶつからずに走れる自信がない。怖い。昔は普通に乗れたのに。

乗ってる人は笑うかもしれないが、自転車に乗れるというのはけっこうすごいスキルなのではないだろうか。

 

葦原大介ワールドトリガー』2巻より)

 

もう自転車には乗れないかもしれないなあ。