何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

緊急避難?

 

【注意!】以下の記事にはウンコに関する記述があります。食事前の方やウンコが苦手な方(?)は読むのをお控えください。

 

 

先日、ひさしぶりに隣の市にある大型書店に行った時のこと。

その書店は大きなショッピングモールの中に入っているのだが、私は書店に行く前にそこのトイレに行った。実はバイクに乗っている時から尿意を感じていたのだ。3月とはいえまだバイクには肌寒く、1時間近く乗っていると自然にそうなる。

休日のショッピングモールは人が多かった。私はその人波を縫うようにやや足早に男子トイレに入り、一番奥にある小便器の前に立った。と、次の瞬間、私は思わず「うわっ」と言って後ずさった。

その小便器の底にウンコがあったのである。

 

 

私は自分の目を疑った。そりゃそうだろう。くどいようだが小便器である。ウンコがあっていい場所ではない。

しかしそれは確かにウンコだった。まごうことなきウンコだった。

しかもそれは水っぽいやつではなく、実に見事な棒状のもの(2、3本)だったのである。

いったい何故? と考える前に私は自分の用を足し、書店に向かった。

書店で本を見ていてもさっき見たものが頭から離れない。

私は最初、あれは悪質なイタズラなのだと思って不愉快になったのだが、すぐに考え直した。いくらなんでもイタズラであんなことはしないだろう。

だとすれば、やむにやまれず行ったこと、一種の「緊急避難」的な行為だったのではないかと思った。つまりーー

 

男が一人、トイレに入ってくる。

そわそわと落ち着かない様子で、額にはあぶら汗を浮かべ、苦悶の表情をしている。彼はいま猛烈な便意を我慢しているのである。

しかしもう大丈夫。間に合った。これで楽になれる。そう思った男に悲劇が待っていた。三つある個室がすべて塞がっていたのである。これを悲劇と言わずしてなんと言おう?

どうする? 切羽詰まった男は考える。

個室が空くのをここで待つべきか?(無理)別のトイレに走って行くべきか?(もっと無理)

いい歳をした大人が外出先でウンコを漏らすわけにはいかない。

どうする? どうする?

漏らすぐらいならいっそ……。

男は意を決し、一番奥の小便器の前に立つとくるりと背を向け、手早くズボンを下ろしてしゃがみ込み、そしてーー

 

と、こんなことがあったのではないかと想像したのである。そんな非常事態でもない限り、こんなリスキーなことはしないだろう。

もし行為の最中にトイレに誰かが入ってきたり、個室から誰かが出てきたりしたら、彼はいったいどうするつもりだったのだろう。彼はその時どんな気持ちで、どんな顔をするだろう。想像しただけで冷や汗が出る。

人生で「絶望」という言葉がこれほど似合う場面はそうそう訪れないだろう。

そう思うと、その非常識な行為に腹を立てるより、同情の方が大きくなるのだった。なんだか切ない。

ウンコは流れなかったけど、その行為は水に流してやろう。

ウンコを憎んで人を憎まず……。

(念のために断っておきますが、自分のことを他人事のように書いているわけではありませんよ。本当に)

 

緊急避難(きんきゅうひなん)とは、急迫な危険・危難を避けるために、やむを得ず他者の権利を侵害したり危難を生じさせている物を破壊したりする行為であり、本来ならば法的責任を問われるところ、一定の条件の下にそれを免除されるものをいう。(Wikipediaより)