何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

経年劣化

 

ヤフオク」でブックカバーを買った。

単行本用の布製のやつで、出品者の手作りである。そういうのを年に一枚ずつぐらい買っている。

以前は書店でもらう紙製のブックカバーを使っていたのだが、最近はネットで新刊を買うことが多くなったのでなかなかもらえなくなった。

文庫本用のカバーは安いのが百均でも売っているけれど、単行本用のカバーはどこにでもあるわけではなく、またあったとしてもちょっと高いしデザインも限られている。なのでこういう手作り品を譲ってもらっているのだ。

 

ちゃんと一冊ずつ本を読むのであればそう何枚もブックカバーが必要になるはずはないのだが、一冊を読み終わる前に別の本が読みたくなり、いちいちカバーを掛け替えるのもめんどうで、もう一枚予備があればと思って買っているうちに増えてしまった。

無駄にモノを増やす人の典型ですな。

 

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(画像はイメージです。ウチはこんなに整った読書環境じゃない)

 

しかし、新刊でも古本でも、すべての本にカバーを掛けて読んでいるわけではない。

たしかに汚れやすい装丁の本というのはあって、そういうのには意識的に使っているけれど、その時の気分で使ったり使わなかったり、はっきりとしたルールはない。

 

それに私は極端な美本主義者でもない。

例えば新刊書店で同じ本が2冊並んでいて、一方は完全な美本でもう一方には少しだけ汚れがあるというような場合、そりゃ私だって美本の方を買う。しかしもし汚れがある本だけしかなかったら、(汚れの程度にもよるけれど)たぶんそれを買うだろう。極端な美本主義者は店員に在庫を確認してもらって、わざわざ汚れのない本を出してきてもらうと思う。

これが古本になると一冊一冊の状態の違いがより大きくなるので、美本にこだわると切りがなくなる。

 

紙の本は月日が経てばどうしてもモノとして劣化していく。傷や汚れがつき日に焼ける。

しかし、あんまり傷みが激しいのは困るけれど、自然な経年劣化であればそれほど嫌な感じはしないし、むしろ本の風貌に《味》が出てくるように思う。

50年100年経っていてもまるで昨日刊行されたかのような極美品の本は、コレクターは喜ぶかもしれないが、ちょっと薄気味悪いような気さえする。

私がいまひとつ電子書籍を好きになれないのも、たぶんそれが古くならないからだと思う。普通それは長所なのだろうけど。それとも電子書籍も時間が経てば紙とは違った形で劣化するのだろうか。でもその劣化には《味》はないような気がする。

 

私も紙の本のような《味》のある「経年劣化」がしたい。