何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

親になる人、ならぬ人

 

前回、雨隠ギド甘々と稲妻という漫画の話をした。

 

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料理を通して父と娘の成長を描いた漫画で、あたたかい気持ちになれるいい漫画だと思う。

しかし、読んでいて少しだけ気持ちがざわざわした。

たとえばこんな場面。 

 

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「父親にしてくれてありがとう」

こういう言葉に気持ちが少しざわつく。

それは私が親になったことがないからだ。

 

「人間は、自分が親になって、子どもを育てて一人前」みたいなことを言う人がいる。私も昔、親戚に言われたことがある。

当たり前のことだが、一口に「親になっていない」といっても事情は人さまざまだ。

選択的に親にならなかった人もいれば、いろいろな理由で親になるのが難しい状況の人もいる。それを全部一緒にして上のように言うのはまったくデリカシーを欠いているし、不当であり、暴論だと思う。

……思うんだけど、しかしその一方で、「まあ、そういうものかもしれないな……」と2割ぐらい納得してしまう自分もいる。

 

私が人の親にならなかったのは、生きていく上でできるだけ「責任」を負いたくなかったからだ。自分の身ひとつさえままならないのに、どうして家庭を持って子どもを育てていくことができるだろうか。簡単に言えば、自信がなかったのですね。

ある程度歳をとったいまなら、みんな別に自信があって家庭や子どもを持ったわけではないとわかるのだけど、若い頃の私はいまよりずっとこじれていたので、そんなふうに考えていた(のだと思う)。

あるいは単純にめんどくさかっただけなのかもしれないが。

 

親にならなかったことを後悔しているわけではない。また、後悔してもどうなるものでもない。(さすがにこれから親になることはないだろう)

しかしそれでも、子どもを育てた経験がない、子育ての苦労を知らないということが、ちょっとばかり「引け目」に感じられることがある。やっぱり人として半人前なのか、と。

まあ、たとえそうだとしても、半人前は半人前なりに生きていかなければならないのだけれど。