何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

おいしい顔のためならば

 

アニメきっかけで読んだ漫画に雨隠ギド甘々と稲妻講談社、全12巻、2013-19)という作品がある。

この前の休日に読み返したのだが、やっぱりいい漫画だった。

 

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高校で数学を教えている犬塚公平は半年前に妻を亡くし、いまは5歳になる娘のつむぎと二人で暮らしている。

ある日二人は、公園で泣きながらお弁当を食べていた飯田小鳥という女子高生に出会い、彼女の母親がやっている料理屋の名刺をもらう。

それからしばらくして、娘に雑な食事をさせていることに気づいた犬塚は、つむぎにおいしいものを食べさせようと先の名刺を頼りに料理屋に行くが、あいにく小鳥の母は不在だった。小鳥は引き返そうとする犬塚をとどめ、自分がおいしいご飯を作ると言う。

しかしどう見ても料理ができない小鳥は悪戦苦闘、どうにかこうにか土鍋のご飯だけ作ることができた。

そのご飯を食べたつむぎはーー

 

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こんな「おいしい」顔をするのだった。

それを見た犬塚は、これからは自分が料理をしてつむぎにおいしいものを食べさせると決意する。そこで小鳥(実は犬塚が副担任をするクラスの生徒)は、これから定期的に三人で集まってご飯を作って食べる「ごはん会」をしませんかと提案するのだがーー。

 

「食」や料理をテーマにした漫画の中には、ともすれば偉そうというか、説教臭く感じるものがある。そういうのを読むと、こちらの「食」に対する意識の低さを責められているようで、読む気が萎えてしまう。

しかしこの漫画にはそういう感じがない。

一つには、ここで作られる料理がいわゆる「家庭料理」だからだろう。特別にこだわった食材を使うわけでもなく、どこにでもあるようなものを丁寧に料理していくので、読む方としても親しみやすい。

しかし、この漫画に好感が持てる一番の理由は、やはり料理の目的が娘の「おいしい」顔を見たいからというところにあるのだと思う。つむぎは本当においしそうに食べる。

娘のこんな顔が見られるのなら、やっぱりお父さんはがんばっちゃうんだろうなあ。(たぶん)

 

おいしいときだけではなく、 つむぎはどんなときも表情豊かに描かれていて、その表情を見ているだけで楽しい。読んでいるこちらもついつい保護者のようにその成長を見守りたくなるのだ。

物語が始まったときには5歳(幼稚園)だったつむぎも、本編が終わるころには7歳(小学2年生)になっている。さらに本編の後にエピローグというか、番外編が5話収録されていて、そこで小学校高学年、中学生、高校生、大学生になったつむぎを順に見ることができる。

真っ直ぐに育っていく彼女を見ていると、なんだか自分の親戚の娘が成長していくのを見ているような気になる。

 

もう一つ、つむぎの成長のほかに、犬塚と小鳥の関係も気になるところだ。

「ごはん会」を重ねていくうちに小鳥は犬塚を大切な存在だと意識するようになるのだが、自分でもそれを恋と呼んでいいかどうかわからないくらい淡い思慕の情なのだ。

先生と教え子という立場もあり、二人の間には微妙な距離感があって、なかなかもどかしい。

小鳥が高校を卒業してもその距離感はあまり変わらず、物語の最後でもはっきりとした形は示されないけれど、お互いを大切に思う気持ちがあればきっと幸せになれるだろう。

 

誰かを大切に思うこと。

誰かから大切に思われること。

結局そのシンプルな思いやりだけが、人を幸せにできるのかもしれない。

ガラにもなくそんな気持ちになるあたたかい漫画だ。