私の家は農業をやっていたので、秋になれば稲刈りが家族総出の大仕事だった。
私の古い記憶(3~5歳頃?)では、庭で手動の脱穀機を使っていた覚えがある。たしか「唐箕(とうみ)」という穀物を選別する機械もあったように思う。
それから記憶が飛んで、小学生の頃には父が自家用のコンバインを買っていたはずだ。数年のうちにずいぶん機械化されている。70年代の中頃のことだ。
コンバインは農機の中でも高額なものだが、昔は今よりも相対的にずっと高価な機械だったのではないかと思う。
父はかなり無理をして買ったのではないか。
小学生の頃はよく稲刈りの手伝いをした、という記憶はあるのだが、さて、具体的に何をしていたのか。
力仕事ができるわけでもないし、せいぜい落穂拾いとか、そんなことだったかもしれない。あまり役には立っていなかったと思う。
ときどきコンバインに乗せてもらった。ただ乗るのではなく、自分で操縦するのだ。(もちろん公道ではなく、田圃の中で)
運転席に座って、横に立っている父の指示でレバーを引いたりボタンを押したりして稲を刈っていく。なんだか巨大ロボットでも操縦しているような気分で、ちょっとテンションが上がる。
そういう私を、父は満足そうに見ていた(ような気がする)。
父は私に農業を継いでほしいと思っていた。いや、自然にそうなるものだと思っていたのかもしれない。
地元の小さな会社に就職するか、できれば公務員にでもなって、休日を利用して農業をする。田植えや稲刈りの農繁期には年休を取って作業する。
父と、私と、私の嫁と、家族みんなで。
そんな未来を思い描いていたのだと思う。
しかし私が成長するにつれて、自分の希望通りにはならないことに気づいていった。父は自分の考えを無理矢理子どもに押し付けるような人ではなかったが、それでもときどき自分の願望を私に語った。
私は聞こえないふりをしたり、話をそらしたり、生返事をしたり、ときにははっきり拒絶したりした。
父もどこかの時点で諦めたのだと思うが、その願望はずっと心の中でくすぶっていたのだと思う。
それは、父の願望を知っている私の中にもくすぶっていた。
もちろん、だからといって、父の願いを受け入れて農業をする気はなかった。親の気持ちは、それはそれとして、自分が生きたいように生きるのは当然のことだ。しかし、それでもなお、心のどこかで父の願いに応えてやれないことを申し訳なく思っていた。ほんの少しだけど。
稲刈りの季節になると、そんなことを思い出す。
自分のものであれ、他人のものであれ、叶えられなかった願いは消えてなくなるわけではない。それは誰かの心の底に残っていて、ときどき人を憂鬱な気分にさせる。
なんだかいつにも増して感傷的になっている。
これも秋のせいってことにしておこう。
今週のお題「○○の秋」