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何を読んでも何かを思いだす

あてのない読書、あてにならない感想、その他。

日本文学全集読破計画

 

もう何年も前からやろうと思いつつ、実行できなかったことがあって、それが「日本文学全集読破計画」だ。

計画の内容はとても簡単で、まず昭和に刊行された「日本文学全集」を一揃い古本で買って、それを第1巻から順に読んで全巻読破するというもの。

 

若い頃から少しは(いわゆる)「文学」を読んできたつもりなのだが、それはいたって気まぐれな読書で、気が向いたときに気になった作家の作品を読んできただけだった。

それが悪いというわけではないけれど、もう少し大系的にというか、文学史的にというか、日本の近現代文学の流れの中で個々の作品を読んでみたいと思ったのだ。

それには日本文学全集を読むのが一番いい。

 

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大正15年から始まった改造社の『現代日本文学全集』を筆頭に、昭和の時代にはさまざまな日本文学全集が刊行された。

とりわけ昭和30年代40年代には、各出版社がそれぞれ何種類もの文学全集を刊行し、それがまたよく売れた。(実際に読まれたかどうかは別にして)

その背景には高度経済成長期の「一億総中流」意識や、人々の「教養」に対する憧れや見栄などがあったのだと思う。一家に一組文学全集、みたいな。

しかしそうした「教養」としての文学、「教養」としての読書というのは、いまとなっては時代錯誤のように思える。

その時代錯誤的読書を敢えてやってみたい。

 

大事なのは、第1巻から順に、巻を飛ばさずに一冊ずつ読んでいくこと。(過去に読んだことがある作品も再読する)

「この作家は前に読んだことあるけど、あまりおもしろくなかったから今回はパス」みたいなことはしない。読まず嫌いももちろん駄目。あくまでも愚直に全部読むこと。 

途中で気になった作家がいれば、その全集に収録されてない作品を探して読んでもいい。そういう寄り道やまわり道はいい。でも近道はしない。

 

しかし、実際に日本文学全集を購入しようと思うと……これがなかなか決断できない。

金銭的な問題もなくはないが、それよりも一度に数十冊の本を買うということに対する心理的な圧迫感がかなり大きい。もちろん空間的な圧迫感も。

 「なにも自分で購入しなくても、図書館があるじゃないか」と思うかもしれない。

たしかに私が住んでいるところの市立図書館にも、スタンダードな日本文学全集が置いてある。しかし図書館の本はどうも落ち着かない。

私は超遅読なうえに、昔の文学全集はたいてい二段組で500頁前後ある。貸し出し期間中に一冊読みきるのはかなり難しい。(そればかり読んでるわけにもいかないし)

それに複数の作家の作品や年譜を比較したくなるかもしれない。

やっぱり自分で一組持っていたいと思うのだが……。

 

しかし迷ってばかりもいられない。

仮に、全70巻の文学全集を月に一冊のペースで読むとすると、全部読み終わるのに5年と10ヶ月かかる。ほとんど6年だ。

これから6年、(本が読める程度に)そこそこ元気に生きていられるという保証はどこにもない。そう考えると、できるだけ早く始めたほうがいい。

よし、今年こそ計画を実行しよう。

うん、実行したい。

実行するかも……。 

 

今週のお題「今年、学びたいこと」