何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

ホームズ再入門

 

以前、イギリスのグラナダテレビで制作されたドラマ『シャーロック・ホームズの冒険』が好きだという記事を書いた。

 

paperwalker.hatenablog.com

 

そのあと本屋をうろうろしていたら、最近刊行されたこんな本を見つけた。

北原尚彦『初歩からのシャーロック・ホームズ中公新書ラクレ、2020)〔画像は帯付〕

 

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ちょうどホームズに対する興味が再燃してきたところだったので、さっそく読んでみた。

 

まず冒頭で『シャーロック・ホームズ』の原典と、数種類ある翻訳(文庫本)を紹介してくれる。翻訳にはそれぞれの特徴があって、テキストを選ぶところから始める初心者にはありがたい助言だ。

続く第2章では主要な登場人物の紹介、第3章ではホームズの物語の時代的・地理的背景の説明。そして第4章でいよいよ「正典」シャーロッキアンはホームズの小説のことをこう呼ぶらしい)そのものの解説に入る。

ホームズの「正典」は、長篇が4篇、短篇が56篇の計60篇ある。本にして9冊。

北原さんはこの60篇を一つずつ、本の刊行順に、簡潔に全部紹介する。(もちろんネタバレなしで)

 

しかし私が興味深く思ったのはこのあとだ。

「正典」60篇を読んだ次の段階として、本書では多くのホームズのパスティーシュやパロディといった、いわゆる「二次創作」を紹介している。

パスティーシュ(模倣)というのは、ほかの作家ができるだけ原典に忠実に(真面目に)書いた続篇やスピンオフ作品のことで、パロディというのは原典から逸脱した要素を含む(遊び心のある)作品といえばいいか。

 

ホームズの「正典」は長短合わせて60篇あると書いたが、逆に言えば60篇しかない。

その60篇を読み終えてしまえば、もうそれ以上新しいホームズの物語を読むことはできない。もちろん「正典」を何度も読み返すことはできるが、もっともっとホームズの活躍を読みたい、読み終わりたくない。

そういう気持ちの読者がたくさんいるから、作者コナン・ドイルの死後も、別の作家によって多くの「二次創作」が作られ、読まれているのだろう。(著作権が切れたという現実的な理由もあるのだろうが)

それほどホームズというキャラクターが傑出していて、愛されているということだ。

 

それらを追いかけているうちに、新たなホームズの本が出版されます。そうやって読み続けている限り、わたしの中でシャーロック・ホームズはいつまでも終わらないのです。ずっと楽しみ続けることができるーーそれが「ホームズという文化」の魅力です。(p.235)

 

なんだか楽しそうだな。

私はドラマは見ているけれど、小説の方はかなり昔に2、3冊読んだきりだ。

これを機会に読んでみようかな。