何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

干し柿

 

月に一度、全国のおいしいものが届くという頒布会のようなものに入会している。

これは自分で希望して入会したわけではなく、まあ、浮世の義理というか、ちょっとした付き合いみたいなものなので、そんなにうれしいものでもない。

そもそも遠方から取り寄せてまでおいしいものを食べたいというほど食にこだわりもなく、どちらかといえば地産地消が望ましいとも思っている。なんといっても不経済だ。

と、文句を言いながら、毎月おいしく食べている。

 

今月は干し柿が届いた。

そんなにしょっちゅう食べたくなるようなものではないが、一年に一回ぐらいは食べたくなる。近くのスーパーにも売っているけれど、(私の感覚では)けっこうな値段なので、自分で買おうという気にはならない。

なので、こういう機会(どうしてもお金を使わなければならない状況)に注文していたのだ。

ねっとりとして、それでいてしつこくない甘さがいい。

 

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はっきりとは覚えていないけれど、私が幼稚園に行っていた頃には、家でも干し柿を作っていたように思う。たしか柿の木もあったはずだ。

自分の家で食べるだけではなく、ひょっとしたらどこかに少し売りに出していたかもしれない。

渋柿の皮をむき、四つか五つ縦に繋げて軒下に並べて干す。どのくらいで干し柿になるのだろうか。それであの渋みが甘みに変わるのだから、考えてみれば不思議なものだ。

 

そういえば数年前、バスに乗って都市部の大型書店に向かっていたときのこと。

高層のマンションやビルが建ち並んでいる所で、何気なく窓の外を眺めていると、あるマンションの五階のベランダに干し柿が吊るしてあるのが見えた。

まだ干して間がないのだろう、鮮やかな橙色が、灰色がかった周りの風景の中でひときわ目立っていた。

こんな街中のマンションに田舎じみた干し柿があるのがいかにも場違いで、なんとなくユーモラスに思えた。

そんなことを思い出した。

 

マンションの五階に吊られた干し柿の色

暖かい冬の日の午後