ときどきスーパーで、年配の男性がカゴいっぱいにカップ麺を買っているのを目にする。
そういうのを見ると、余計なお世話だとはわかっているが「わびしいなあ……」と思ってしまう。まあ、そういう私のカゴにも2、3個入っているので、人のことは言えないのだが。
子どもの頃はあまりカップ麺を食べなかった。
当時はまだ袋麺の方が主流だったということもあるのだが、働いている母に代わって祖母や姉がちゃんとご飯を作ってくれたので、食べる機会があまりなかった。即席麺は小腹がすいた時のおやつみたいな感覚だった。
それが「主食」の座を占めたは、やはり一人暮らしを始めてからだ。
一応自炊を心がけてはいたものの、やっぱり作るのも後片付けもめんどくさい。かといって弁当は高い。となれば必然的にカップ麺になってしまう。まだ若かったので健康のことなんか考えない。とにかく腹いっぱいになれば良し、という感じだった。
最近ではさすがに健康が気になって、昔ほど頻繁には食べないけれど、それでも週に1、2食は食べているような気がする。
特に新しい味の商品が発売されると、どんなものだろうと思ってついつい買ってきてしまう。
やっぱり老人になっても食べていそうな気がする。
それにしても、次から次に新商品が発売される。
山本利夫『即席麺サイクロペティア 1 カップ麺〜2000年編』(社会評論社、2010) を見ると、多種多様なカップ麺が作られてきたことにあらためて驚く。
著者の山本さんは1960年生まれ。大学生の頃から食べた即席麺の袋やカップ麺のフタを保存・収集してきたという。この本では、そのカップ麺のフタを図鑑のように網羅していて、その商品のデータを記録している。
即席ラーメンの世界では多くの商品が華やかに誕生しても、その大半はすぐに消えていってしまってそこはかとなき儚さを感じてしまう。私が袋やカップのフタを保管しておこうと思った動機の一つは、これらの商品がある一時市場で輝く存在であった証を少しでもハッキリと記憶に残したいという想いからだ。(p.130)
こういう謎の使命感(?)がいい。
私はこういった身の周りにあるチープな物の図鑑みたいな本が好きだ。パラパラと眺めているだけでも楽しいし、風俗資料としても価値があるように思う。
この本ではロングセラーの定番商品はもちろん、「あ、これ食べたことある」とか「そういえばこんなのあったなあ」という懐かしいものもあり、また見たこともないカップ麺もたくさん紹介されている。
しかも著者はデータだけではなく、麺やスープについて実際に食べた批評を加えている。そこに著者の時間と経験の蓄積が感じられる。ネットなどで短時間にデータを収集したのではなく、長い時間をかけて積み重ねられた仕事というのは独特の「味わい」がある。それがいい。
ちなみにこの本には続編の「2」があって、そこでは日本と外国の袋麺が紹介されているらしい。こちらも見てみたい。
なんか腹減ってきたなあ……。