何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

仙人になりたかった

 

若い頃、私は仙人になりたかった。

 

いきなり何言ってんの、この人?  と思うかもしれないが、大丈夫、気は確かだ。

順を追って話そう。

 

大学に入った当初というのは、みんなどこかちょっと不安定なところがある。

これから始まる新しい生活に対する期待や不安もあるが、なによりも受験勉強が終わったことによる開放感が大きいし、一人暮らしを始める人にとっては、親元から離れた開放感がそれにプラスされる。なんとなくふわふわと浮き足立った感じになる。

ほとんどの人は時間が経つと落ち着いてきて、地に足が着いた生活をするようになるのだが、なかにはずっとふわふわしたままの人もいる。私がそうだった。

地に足が着いていないから何にでも簡単に影響を受け、変な方向に流されたりする。

そういう不安定な時期に読んで、どっぷりハマってしまったのがこの本。

高藤聡一郎『秘法!超能力仙道入門』学習研究社、1983)

 

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 正確に言えば、高藤氏による一連の著作だ。高藤氏はこの《ムー・スーパー・ミステリー・ブックス》から何冊も類書、関連書を出している。そればかりではなく、あの大陸書房からも仙人や仙道関係の本を出していた。私はそれらの大半を買って読んだ。

 

仙道というのは、大雑把に言えば、仙人になるための修行であり、その根底には「道(タオ)」の思想がある。

上に紹介した本では、まず仙道の歴史や諸派が紹介され、続いて実践的な修行法が説明されている。

まずは手のひらで気を感じるところから始まって、気を自分の体内に巡らせて練り(小周天)、さらには根源的な生命エネルギーを覚醒させ(大周天)、気で自分の分身を作ったり(出神)……。

(なんだか読者が遠ざかっていくような気がするが)とにかくそういった修行法が細かく説明されているのだ。

ほとんど瞑想による修行なので、お金はまったくかからない。学生はお金はないが時間はたっぷりある。

やりましたよ。見よう見まねというか、とにかくやってみた。

結果、気の感覚はつかめたのか?

つかめた、ような気が、しないでもない。それこそ気のせいだったのかもしれないが。

幸か不幸か、私は飽きっぽい性格なので、しばらくは熱心にやったけれどそのうちやめてしまった。もしあのまま修行を続けていれば、不老不死は無理にしても、いつか私も「かめはめ波」的なものが撃てたり、「スタンド」的なものが出せたり……するわけないか。

 

冗談はさておき、80年代のオカルトブームというのは、70年代のそれよりもずいぶんハードルが下がったような気がする。身近になったと言うべきか。例えば同じ「超能力」にしても、「一部の人間に特別に与えられた力」ではなく、「誰もが潜在的に持っている力 」というふうに。

きちんと調べたわけではないが、少年(青年)漫画の中で「気」とか「オーラ」といった表現が普通に出てくるようになったのもこの頃ではないだろうか。

そういえば『孔雀王』もこの時期の漫画だった。(連載は1985年から89年にかけて) 

paperwalker.hatenablog.com

 

まあ、「時代」について語るには、私には知識も思考もまだ足りていないので、今回は個人的なちょっとした「黒歴史」だけ書くに留める。

 

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最後にひとつ「蛇足」を。

ヤフオクなどを見ると、高藤氏の多くの本にはけっこうな値段が付いている。一部のマニアックな人がわざと高値を付けているのかと思ったが、そうではなく、本当に古書価が付いているようだ。(ちなみに上に紹介した本は安い、というか、たぶんまだ新刊で買える)

将来「奇書」として珍重されるかもしれないので、持っている人は二足三文で売ったりしない方がいいと思う。(持ってる人いないだろうけど……)