何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

「後悔しない決断」なんかない

 

性格がネガティヴなせいなのか、私は「決断」の後にはたいてい後悔する。

 

私ももう短くはない人生を生きてきたので、いくつかの局面で大きな決断をしなければならないことがあった。

そんな時、周りの人たちは口々に「後悔しないように決めなさい」という。

しかし、私に言わせれば、そんなことは不可能なのだ。

そりゃあ私だって後悔はしたくない。だから「後悔しないように、後悔しないように」とあれこれ考えを巡らせるけれど、結局どんな決断をしても後悔しそうな気がする。

そう思うと決断そのものをためらってしまい、ついつい先延ばしにしてしまう。

先延ばしにしたからといって決断の必要がなくなるわけではない。しかもたいていの物事は先延ばしにすると状況や条件が悪くなる。

その結果、かなり不本意な決断をすることになるのだが、そうなるとそれはもう決断とは言えず、単なる「妥協」である。

私はそんなふうに生きてきた。

 

しかしある時こう考えてみた。

どんな決断をしても後悔するというのなら、その後悔を受け入れさえすれば、つまり後悔する覚悟を持つことができたなら、どんな決断をしても自由ということではないのか?

乱暴な言い方をすれば、どのみち後悔するのなら好きに決めればいい、ということだ。

こうなるとネガティヴなんだかポジティヴなんだかわからなくなる。

まあ、単なる詭弁というか、開き直りなのだが、そう思うと少しは気が楽になる。

 

「後悔しない決断」ではなく、「後悔してもいい決断」をすること。

もちろんその後悔は自分で引き受けなければならないが、「人間は後悔する生き物だ」ぐらいに考えておく。

ただし注意点が一つだけ。

後悔を引きずって生きるのは仕方がないが、決して後悔に引きずられてはいけないということ。

これが大事。

 

 

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 #「迷い」と「決断」  (今週のお題

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