何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

母の手料理

 

私は母の手料理を食べた記憶があまりない。

 

私の家はいわゆる兼業農家で、父も母も農業のほかに仕事に行っていた。二人とも土木建築現場のハードな仕事だった。

家事全般は祖母がやっていた。もちろん料理もそうだ。私は祖母の料理を食べて育った。

祖母が高齢のために家事が難しくなると、姉が「家事手伝い」ということで家に残って家事を取り仕切ってくれた。料理もだんだん祖母から姉の仕事になった。

私が高校を卒業して家を出るまで、だいたいこんな感じだった。

その間両親はお金を稼ぐためにひたすら外で働いた。

 

ごく稀にだが、母が料理をしてくれることがあった。(たぶん祖母や姉に別の用事があったのだろう)

そんな時に何を作ってくれたのか、まったく覚えていない。ただひとつ、はっきり覚えているのは、それがとてつもなくまずかったということだけだ。

母は、料理に関しては、とても残念な人だった。

 

私は甘やかされて育ったクソガキだったので、人の気持ちを察したり、人に気を遣ったりということができない。(大人になって、そういうところで苦労するのだが)だからたぶん、正直にまずいと言ったと思う。 

そういうとき母はどういう顔をしていただろう?

悲しそうな顔か、困ったような顔か、いやいや、性格から考えると「だったら食うな!」と逆ギレした可能性も高いのだが、よく覚えていない。

そもそも料理をする機会自体が少ないのだから、上達するはずがない。

毎日辛い仕事をして帰ってくるので、ほかに作ってくれる人がいるなら自分でやろうと思わなくても当然だ。

しかしそれ以前に、母は料理というものが嫌いだったのではないかと思う。性格に合っていないというか。 

 

ところが子どもというものは(私だけかもしれないが)「母親は料理が上手くて当たり前」と思っているようなところがある。たぶんテレビなどを見て無意識にそう刷り込まれるのではないだろうか。

だから母親の料理がまずいと、なんだかちょっと裏切られたような気がしてしまう。

母親に限らず、また男女を問わず、料理には上手下手や向き不向きがあって、それに加えていろいろな条件(時間やお金があったりなかったり)があって、そういう中で毎日の食事を用意するというのはかなり大変なことなのだと、独り暮らしをするようになって初めて気がついたのだが。

 

まあ、料理はともかくとして、母親に感謝はしている。

しかしそれを直接伝えたことはなかったと思う。

いろいろ思うところはあるのだが、私もいい歳をしたオッサンなので、ここらできちんと言っとくべきなのかなぁ。うーん、けどなぁ……よし!来年にしよう。

 

今週のお題「母の日」)

 

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