何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

3つ数えろ

 

突然 IDコールを受けて何事かと思ったら、まりさん(id:ymaria53)からお題のバトンが回ってきたのだった。

今週のお題「最近あった3つのいいこと」

「3つのいいこと」ねぇ……。なにかあったかな。

私は根がネガティブなので、あまり「いいこと」を数える習慣はないのだが……。

 

とりあえず1つ目の「いいこと」は、帯状疱疹が治ったことである。

前々回の記事で書いたように、今月に入って帯状疱疹ができていたのだが、数回の通院と飲み薬でけっこうあっさり治った。症状自体もそれほど酷いものではなかったし、後遺症(痛みが残る場合がある)もないので、まあよかった。

 

2つ目は、ずっと気になっていた漫画を大人買いしたことだ。

買うかどうか長いこと迷っていたのだが、「漫画ぐらい大人買いできないようでは、大人になった甲斐がない!」と意を決して買ったのである。大人なんだか、子どもなんだか……。

まあ、全部で十数巻の漫画なので、これを買ったからといって明日からご飯にふりかけだけの生活になるわけではないけど。

 

3つ目の「いいこと」は、次の記事でブログの記事が300になることかな。

3年と4ヶ月でようやく300である。毎日更新している人なら1年もかからないのだろうけど、ドジでノロマな亀(若い人わかるかなあ)の私にしては上出来である。

もっとも量より質のほうが問題なのかもしれないが。

 

最近あった「いいこと」といったらこんなことしかない。

われながら地味というか、しょぼいなあと思うのだけど、しょぼい生活をしているのだから仕方がない。

まあいいか。

特別な「いいこと」はいらない。

今日という日を大過なく過ごせれば、それが一番「いいこと」なのである。

 

 

下方修正の休日

 

いま仕事が夏季繁忙期の真っ最中で、毎日クタクタのヘトヘトになっている。冷蔵庫に入れっぱなしだったほうれん草のように萎れている。

そんなほうれん草、ではなく、私にとって、休日こそは唯一のオアシスであり、労働で干涸びた心身に潤いを回復させる時間である。

 

休日の前の夜には、明日はあれをしよう、これもしなければといろいろと考えて、5つぐらいのリストを作っておく。

せっかくの休日なのだから、ちゃんと計画を立てて、充実した有意義な時間を過ごしたいと思う。

しかし実際に休日になると、そんな予定や計画はまったく意味を成さなくなる。

 

 

まず起きる時間が遅い。目を覚ました時点で、

「あー、今日5つ全部やるのは無理だな。あれは急がなくてもいいから、ほかの4つを片付けてしまおう」

といきなり下方修正する。

しかし、その後もだらだらと動画を見ているうちにあっという間にお昼になる。昼ご飯を食べると体も気持ちも重くなって、

「うーん、これから4つやるのはしんどいなあ。あれは次の休みにして、ほかの3つ、これだけは今日のうちにやっておこう」

と再び下方修正する。

もうおわかりだろう。こうして下方修正を繰り返し、終わってみれば結局何一つ片付いていないという、いつもの残念な休日ができあがるのだ。

私の休日の計画というのは、決して実現しない「絵に描いた餅」なのである。

 

いや、一つだけできたことがあった。

それは「ブログの記事を書く」ということ。

つまり、あなたがいま読んでいるこの記事を書いたことである。

こんなことを「できたこと」に数えるのは自己欺瞞のような気がしなくもないが、うん、まったく何もしなかったわけじゃない、ということにしておこう。

 

 

帯状疱疹(2回目)

 

人生で2回目の帯状疱疹になった。

 

先週、背中の方に痒みというか、少しヒリヒリするような違和感を感じた。

なんだろうと思って鏡を見たら、左の肩甲骨の下辺りから脇腹にかけて広範囲に肌が赤くなっている。かろうじて右手が届いたところを触ると、少し凸凹した感じがする。

最初は虫に刺されたのかと思った。自慢ではないが、私の寝床にはダニぐらいなら普通にいる。

しかし、虫刺されにしては範囲が広いし、背中の左側だけというのも不自然だ。

そこでピンときたのが「帯状疱疹」である。

 

実は10年ほど前、40代の初めの頃に一度帯状疱疹になったことがあるのだ。

その時もやはり虫刺されだと思って皮膚科を受診したら、帯状疱疹と言われて驚いた。それで一週間ぐらい通院し、その間にいろいろな知識を得たのである。体の左右どちらか片方にしか症状が現れないというのもその時知った。

ちなみにその時は頭の左側(側頭部から後頭部にかけて)に症状が現れた。いまみたいに坊主頭じゃなかったから目立たなかったけど。

なんとなく帯状疱疹は一度なれば二度はならないというイメージがあったのだが、ネットで調べてみるとそういうわけでもないらしい。

加齢やストレス、疲労などによって免疫力が低下するのがその原因で……なるほど、思い当たるフシがある。というか、思い当たるフシしかない。

 

(「医者からもらったパンフレット」……って「パパからもらったクラリネット」に似てる)

 

今回も10年前と同じ病院に行って、結果やっぱり帯状疱疹と言われた。

思った通りだったので涼しい顔をしていたのだが、その年齢で2回目というのは珍しいとも言われた。さらに先生は、頻繁に帯状疱疹になるようだったら、免疫機能自体になにか問題があるのかもしれないよ、まあ、10年間隔があいているから大丈夫だと思うけどね……などと不穏なことを言いだす。

とにかく患部に軟膏を塗ってもらい、飲み薬を処方してもらう。薬も進化していて、前のよりもよく効くようになっているらしい。

今回の場合、見た目はけっこうひどいことになっているけれど、痛みや痒みというのはそれほどでもないので、痛み止めは出してもらってない。帯状疱疹は、ひどい場合には痛みや痒みで夜も眠れなくなったりするらしいので、私のは比較的軽いやつだったのだろう。

 

薬局に行って処方箋を見せ、待つことしばし、薬剤師さんが申し訳なさそうに「ちょっと高いお薬なんですけど……」と言って薬を出してくれた。

飲み薬は1日1回(2錠)で、これを7日間飲まなければならないのだが、計算すると1回分が800円ぐらいになる。たしかに高い。

これに数日分の病院の受診料を合わせると、ざっと1万円近くのお金が飛んでいく……。

帯状疱疹は痛くないけど、これはイタいなあ……。

 

 

熱中(症)時代

 

暑い……。

暑いのはみんなわかりきっていることなのに、あえて「暑い」と言葉にして念押しする心理というのはなんなんだろう。

しかしそれでも口を開けば言わずにはいられない。

暑い……。

 

暑さとともに問題になってくるのが熱中症である。

最近、読者になっている複数のブログで立て続けに「熱中症になったかも……」という記事を読んで、自分も気をつけないといけないなあと思ったのだ。

ある意味夏の定番の話題ではあるが、あまり嬉しくない定番である。

ところで、ふと気になったのだが、この「熱中症」という言葉は私が子どもの頃には聞かなかったような気がする。

夏に気をつけるように言われていたのは、「熱中症」ではなく「日射病」だった。

しかしいまでは逆に「日射病」という言葉をほとんど聞かない。

いつからそうなのだろう。

 

 

ネットでざっと調べてみると、2000年に医学のなんとかいう学会で、「日射病」や「熱射病」などを含む暑熱による体調の悪化を総称して「熱中症」ということに決めたらしい。(「熱中症」という言葉自体は以前からあった)

それがニュースなどを通じて広く流通し、定着していったのである。

そんなこと勝手に決められてもなあ、と思うけど、それなら私が子どもの頃に聞かなかったのも納得できる。

たしかに「日射病」というと屋外で日差しにあたったことによる体調不良に限定されるが、「熱中症」という言葉ならもっと広範囲をカバーできるので、言葉としては便利なのかもしれない。

 

いまの子どもたちのことは知らないが、私が子どもの頃は、外で遊ぶことが子どもの《本分》みたいに思われていた。子どもたちはジリジリと暑い夏の日盛りでも外で遊びまわり、真っ黒に日焼けした肌をちょっと自慢にしたものだ。

だから「日射病」に気をつけるようにと言われていた。

「日射病」という言葉には、なにかそういう、ノスタルジックな昭和の子どもの風景を連想させるものがある(ような気がする)。

 

ところで、これは心底どうでもいい話なのだが、私は「熱中症」という言葉を聞くと、20回に1回ぐらいは水谷豊主演の昭和のドラマ『熱中時代』を思い出す。

 


www.youtube.com

 

子どもの頃、夢中になって見てたなあ、あのドラマ。

これも昭和のノスタルジー

いや、だからどうしたというわけではないのだが……。

 

皆さま、熱中症にはくれぐれもお気をつけください。

 

 

家を壊す

 

私が住んでいる地区で、しばらく前から一軒の家の解体工事をやっていた。

二階建ての普通の民家で、築年数はわからないがだいぶ古い家のようだった。

その家の前の道が通勤路になっているので、私は仕事の行き帰りになんとなく工事の進捗状況を気にしていた。

 

家の側面から小さめのショベルカーで壊していき、バラバになった家の破片をトラックで運び去るという、ごくありふれた解体作業だ。

そんなに大きな家ではなかったので、数日で家屋の解体は終わったようだった。

家の周りには、庭という程でもない狭い敷地があって、大きな木が何本か植えてある。

その木は残して家だけ新築するのだろうかと思っていたら、家の解体に続いて木も全部切り倒され、根も掘り起こされた。露わになった木の根は、なんだか少しグロテスクな感じがした。

結局その土地は、敷地を隔てるブロック塀だけを残してすっかり更地になってしまった。そしていまも更地のままで、新しく家が建つ気配はない。

私は近所付き合いが苦手なので、そこにどんな人が住んでいたのか知らない。だからその人の事情も知らないし、その土地が今後どうなるのかもわからない。

いや、私も別にそれを知りたいというわけではない。私はただ、誰かが何十年か住んだであろう家が壊されていく様子が気になっただけである。

 


私がいま住んでいる家は、私が7歳の時に改築されたものだ。

改築といっても古い家の部分はほとんど残らなかったので、新築に近い改築だったと思う。それからもう40数年が経っている。外装も内装もガタガタだ。

私は18歳で家を出て、40歳で戻ってきた。戻ってきた時は、私と老父母の3人で暮らしていたのだが、母が寝たきりになって特養老人ホームに入所し、続いて父が亡くなり、結果私はいまこの家に一人で暮らしている。

その家を、あと10年ほどで壊そうと思っている。

 

私はこのまま「独居老人」になる予定だが、いま住んでいるところで老人が一人で生活するのは難しい。早い話しが、田舎で不便すぎるのだ。

なので、いまの仕事が定年になったら(それまでがんばれるかどうかは疑問だが)もっと生活しやすい街に引っ越したいと思っている。購入でも賃貸でも、70歳近くになると難しいらしいので、60代の前半にやっておきたい。

その時に家と土地を処分したいのだが、ちょっとした事情(*)があって家の建物を売ることができないのである。解体して更地にする必要があるのだ。

解体費用もかなりかかると思うけれど、仕方がない。

 

家や土地を処分せずに放置しておくという手もある。

実際、私が住んでいる地区にも、無人のまま放置された空き家が2、3軒あって、雑木や雑草に覆われている。

しかし放置しておいても税金はかかるのだし、なによりもやはり気分が良くない。

自分が生まれ育った家だからこそ、きっちり自分で始末しておくべきだと思う。

 

とはいえ、不精者の私のことだから、途中でめんどくさくなってずるずるとこの家に住み続けるということもおおいにあり得る。

いや、あり得るというか、むしろそっちの可能性の方が高いかもしれない。

そうなったらこのボロ家と私と、どっちが先に「オシャカ」になるかの勝負(?)である。

まあ、それならそれでいいような気もする。

 

(*)ちょっとした事情に関してはこちら。

paperwalker.hatenablog.com

 

 

幻の文学少女

 

前回、文学全集の端本(はほん)が好きだという話を書いたのだけど、それに関連して忘れがたい記憶があるので、ついでに書いておきたい。

 

いまから20年ぐらい前、このブログでもときどき書いている無職でぶらぶらしていた時代のことだ。

その頃の私の日課は、(当時住んでいた)市内に5、6軒あったブックオフを巡回することで、その日も普通に漫画の立ち読みをしていた。

夕方になって、そろそろ帰ろうかと思い、最後にもう一度均一棚をチェックしていたところ、学校帰りらしい女子高生がやはり熱心に棚を見ている。

彼女が見ていたのは、棚の上に並べられている昔の文学全集の端本だった。

一冊手に取って、箱から出してパラパラと中を確認し、また箱に入れて棚に戻し、次の本を手に取って……という動作を繰り返していた。

 

私はなんとなく気になって、それとなく彼女の様子をうかがっていた。

いや、別に彼女に不審な素振りがあったわけではない。(不審なのはむしろ私のほうだ)

若い女の子が古い文学に興味を持っているらしい様子が私の気を引いたのだ。

彼女はしばらくそうやって本を吟味していたが、やがて入口の方に歩いていった。

結局買わないのか、と思ったら、彼女は入口に置いてある買い物カゴを持って引き返し、棚にあった全集の端本を次々に10冊ぐらいカゴに入れ、それを両手で重そうに持ってレジに向かったのである。

私は呆気にとられたようにその様子を見ていた。

話はこれだけである。それ以上のことはなにも起こっていない。ただ女の子が本を買ったというだけのことだ。

にもかかわらず、私がいつまでもこんなことを覚えているのは、彼女の買いっぷりの良さもあるが、買ったのが文学全集の端本だったからだ。

 

前の記事にも書いたけれど、文学全集というのはだいたい二段組で500ページ前後ある。普通の本の2、3冊分ぐらいだ。ついでに言えば、総じていまの本より活字も小さく行間も狭い。つまり文字がぎっしり詰まっているのである。(オッサンの偏見かもしれないが)そういう古い本を若い女の子が一度に何冊も買うというのが意外だった。

同じ内容の本でも、これが文庫本であればここまで印象にも記憶にも残らなかっただろう。

文庫本をコンビニのおにぎりみたいなものだとしたら、文学全集の端本というのは白飯がぎっしり詰まったアルミの弁当箱みたいなイメージなのである。

そんな弁当箱からわしわしご飯を食べるように、彼女が熱心に文学全集を読んでいる姿を想像すると、なんだか頼もしいような気がしたのだ。

私は、余計なお世話ではあるけれど、なんとなく心の中で「がんばれよ」と思ったのだった。

(20年後の私は、「お前ががんばれよ、無職のオッサン」と思うのだけど)

 

彼女は私の中で「幻の文学少女という名前で記憶されている。

 

 

端本好き

 

ようやく尾崎一雄荻原魚雷編)『新編 閑な老人』を読み終えた。

それで、もっと尾崎一雄を読んでみたいと思ったのだが、いま新刊で手に入るのはこの本と岩波文庫ぐらいしかない。

私はその岩波文庫も持っている(ような気がする)。それだけでなく、古い新潮文庫旺文社文庫も持っている(はずだ)。……が、どこにあるのかわからない。

まあ、それはいい。いつものことだ。整理整頓能力のなさはいまに始まったことではない。

なので、こういう時は本を探すのをすっぱり諦めて(というか、最初から探す気もなく)また(古)本を買うのである。こうして際限なく本が増えていく。

 

こういう場合に私がよく買うのが、昭和に刊行された日本文学全集の端本(はほん)である。

端本というのは全集などのセットの中の一冊のことで、「揃い」に対して半端な本なので端本という。私はこの端本が好きなのだ。

それで今回買ったのがこれ。

筑摩現代文学大系47巻『尾崎一雄集』筑摩書房、1977)

 

箱カバーの写真がちょっと怖い……。

 

代表作の「暢気眼鏡」や「虫のいろいろ」を含む16の中短編と、10の随筆を収録している。これに「年譜」と、紅野敏郎による「人と文学」(解説)が付いているので、作家の《入門書》としてはうってつけなのである。

本文は二段組で約450ページ、普通の単行本2、3冊分ぐらいのボリュームがある。

これを時間をかけてちびちび読んでいきたい。

 

ところで、日本文学全集といえば、私は中央公論社の《日本の文学》全80巻を揃いで買って持っている。(ぜんぜん読めていないが)この中には当然、尾崎一雄も含まれている。

それならなにも別の本を買う必要はないではないか、と思うかもしれない。

しかし《日本の文学》の中の尾崎一雄は、外村繁、上林暁と合わせて一巻なのである。三人で一巻だから、一人当たりの収録作品は少なくなる。あえて上の端本を買った理由である。

 

昭和3、40年代にはいろいろな出版社から何種類もの文学全集が刊行された。特に筑摩書房は数年ごとに再編集やリニューアルを繰り返して何度も刊行している。過当競争というか、文学全集のインフレみたいな時代だったのだ。しかもその大量の全集が、それなりに売れていたのだからすごい時代である。

その数ある文学全集の中でも、尾崎一雄が一人で一巻を構成しているものは少なく、たいていは他の作家と合わせて一巻なのだ。

こんなふうに各種の文学全集を比較して、その編集の違いを見るのもマニアックな楽しみである。

 

こうした文学全集は、住宅事情や、人々の「教養」に対する考え方の変化などにより次第に需要がなくなっていく。そして各家庭にあった全集も「無用の長物」あつかいされるようになり、その多くが古本市場に流れていった。

しかし古本としても(大量にあるので)たいした価値はなく、多くは「均一本」として安く売られることになる。

昔はどこのブックオフに行っても、まとまった数の端本があったものだ。

ところが最近では、この手の本をほとんど見かけなくなった。私が行くところがたまたまそうなのか、全国的な傾向なのかはわからない。

あれだけあった全集も、さすがに出版から半世紀も経つと流通量が減ったということなのか。それとも、場所をとる割には儲けにならないので敬遠されているだけなのか。

いずれにしても、端本好きには寂しいかぎりである。

 

昭和の「出版遺産」とも言うべき文学全集、もっと活用されればいいと思うのだが。