何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

下方修正の休日

 

いま仕事が夏季繁忙期の真っ最中で、毎日クタクタのヘトヘトになっている。冷蔵庫に入れっぱなしだったほうれん草のように萎れている。

そんなほうれん草、ではなく、私にとって、休日こそは唯一のオアシスであり、労働で干涸びた心身に潤いを回復させる時間である。

 

休日の前の夜には、明日はあれをしよう、これもしなければといろいろと考えて、5つぐらいのリストを作っておく。

せっかくの休日なのだから、ちゃんと計画を立てて、充実した有意義な時間を過ごしたいと思う。

しかし実際に休日になると、そんな予定や計画はまったく意味を成さなくなる。

 

 

まず起きる時間が遅い。目を覚ました時点で、

「あー、今日5つ全部やるのは無理だな。あれは急がなくてもいいから、ほかの4つを片付けてしまおう」

といきなり下方修正する。

しかし、その後もだらだらと動画を見ているうちにあっという間にお昼になる。昼ご飯を食べると体も気持ちも重くなって、

「うーん、これから4つやるのはしんどいなあ。あれは次の休みにして、ほかの3つ、これだけは今日のうちにやっておこう」

と再び下方修正する。

もうおわかりだろう。こうして下方修正を繰り返し、終わってみれば結局何一つ片付いていないという、いつもの残念な休日ができあがるのだ。

私の休日の計画というのは、決して実現しない「絵に描いた餅」なのである。

 

いや、一つだけできたことがあった。

それは「ブログの記事を書く」ということ。

つまり、あなたがいま読んでいるこの記事を書いたことである。

こんなことを「できたこと」に数えるのは自己欺瞞のような気がしなくもないが、うん、まったく何もしなかったわけじゃない、ということにしておこう。