何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

絵葉書を読む(その10) ミシン

 

『絵葉書を読む』第10回。今回の絵葉書はこちら。

シンガー製ミシンの広告絵葉書だ。

 

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シンガーは1850年からミシンを製造しているアメリカの代表的なミシンメーカーである。

 

ミシンが日本に入ってきたのは江戸時代末期のこと。

嘉永7年(1854年)、ペリーが二度目の来航をした時に将軍家へ献上した献上品の中にミシンがあったという。ちなみに日本で初めてミシンを扱ったのは天璋院篤姫)だと言われている。

ミシンが普及しはじめるのは明治になってからで、当然ながら輸入品がほとんどだった。

国産のミシンが量産されるのは大正に入ってからである。パイン裁縫機械製作所(現在のジャノメ)が本格的な量産を始めた。しかしこの頃の国産品は質量共にまだまだ輸入品には及ばなかった。

昭和3年(1928年)、それまでミシンの販売と修理を行っていた安井ミシン兄弟商会(現在のブラザー)がミシンの製造を始めた。独自の工夫を施したそのミシンは故障しにくいと評判になり(当時のミシンは頻繁に故障していた)よく売れた。

こうしてミシンは広く普及していった。(以上、例によってWikipediaを参照)

 

さて、上の絵葉書だが、残念ながら消印が不鮮明で年代が特定できないが、貼られている切手で大正から昭和初期というのはわかる。

差出人は個人名だが、名前の上に「シンガーミシン各種/針、油、部分品/ミシン全書/子供洋服型紙/カタン糸刺繍糸」といった取扱品目が並んでいる。シンガーミシンの専門店、あるいは代理店のようなものを経営していた人だろうか。

通信欄には「謹賀新年」とだけあって、つまりこれはお得意様宛の年賀状だと思われる。

 

なんといっても裏面がユニークだ。

上段は若い女性がミシンの前に座っていて、隣にその娘らしい子ども。

「現代の家庭裁縫能率増進にはシンガー和服縫専用のミシンを御備へ附遊せ」

これに対して下段は、手縫いで裁縫しているお姑さんらしき女性。

「時代遅れの手縫ひの遣り方を止めてシンガー和服縫専用のミシンを御採用下さい」

ミシンを使う新世代と、いまだに手縫いの旧世代というわかりやすい対比だが、なんというか、嫁と姑の微妙な感じが……。姑さんをはっきり「時代遅れ」って言ってるし。

洒落が効いた絵葉書だと思うけど、実際に嫁姑の関係が険悪な家庭にこんな年賀状が来たら洒落にならないような……。

それにしても姑さんの顔、怖すぎる。

 

 

負けることの可愛さ

 

ちょっとしたきっかけがあって田山幸憲『パチプロ日記 I  』白夜書房、1995 / 旧版1990)を読んだ。タイトルの通り田山さんはパチプロ、つまりパチンコで飯を食っている人だ。(2001年他界)

これはその田山さんの1990年(平成2年)の3月から5月までの三ヶ月間の日記である。

 

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1980年台に入って、パチンコには現在の主流である「セブン機デジパチ)」や「ハネ物」といった新しいギミックの機種が登場し、それにともなって人気が拡大していった。

これを機にパチンコ業界も、パチンコは誰でも気軽に楽しめる健全な娯楽であるというイメージを強調し、それにマスコミが拍車をかけるような形でパチンコが一種のブームになる。

テレビや雑誌に「パチプロ」という人たちが華々しく登場し、パチンコで稼いで高級外車を買っただの、マンションを買っただのという景気のいい話をして人々の射幸心をあおった。

 

そういう派手なパチプロに比べて、田山さんは圧倒的に地味である。

実際この日記を読んでみると毎日同じようなことの繰り返しで、これなら普通の会社員のほうがよほど変化のある生活をしているような気がしてくる。

毎日同じパチンコ店に朝10時の開店から入って、一通り釘を見て勝てる台を選んで打ち、遅くても午後3時ぐらいには切り上げて酒を飲む。

もちろん勝負事なので日によって波はあるけれど基本は同じである。(ちなみにこの時の田山さんは「ハネ物」と「一発台」ばかり打っていて「セブン機」はまったく打っていない)

パチンコに興味がない人は読んでも退屈するだろうし、そもそも意味がよくわからないかもしれない。

しかし私はこの日記を懐かしく読んだ。この1990年頃はちょうど私がパチンコを覚え始めた時期で、この中に出てくる「ビッグシューター」や「ローリングマシーン」といった機種は私も打ったことがある。もっとも、その後私は深みにはまっていろいろ困ったことになるので、少しばかり苦いノスタルジーではあるけれど。

 

この本には日記のほかに田山さんへのインタビューも収録されていて、実は日記の本文よりこっちのほうが興味深い。

田山さんは東大在学中にパチンコを覚え、そこからのめり込んで学校を辞めてパチプロになったというやや異色の経歴を持つ。それもあってか、自分がパチンコで飯を食っているということに対して複雑な感情を持っているようだ。テレビで得意げな顔をして自慢話をするパチプロとは違う。むしろその言葉には「含羞」がある。

 

そもそもパチプロなんていうのは、社会の裏側に住む日陰者なんだよ。(……)ましてパチプロなんて自ら進んでなりたがるものじゃあない。いい事なんて何ひとつないんだから。

(……)

それから、自分の職業を、胸を張って人に言えない。と言うか、パチプロは職業なんかじゃない。ただの怠け者なんだよ。パチプロを正当化しちゃいけない。(p.6)

 

その一方で、プロとしてのこだわりもある。パチンコで飯を食っている以上、勝たなければいけないのは当然だが、勝てばなんでもいいというわけでもない。

 

要は、銭だけが全てじゃないんだ。たとえそれで負けを喫することになっても、それはそれでいい。勝つことだけにこだわってる間は、一人前とは言えないんだよ。負けることの可愛さ、人間らしさを分かってほしいよね。(p.7-8 太字は引用者による)

 

たいていの人間が勝ちたい、負けたくないと思う世の中で、いったい誰が負けることを「可愛さ」とか「人間らしさ」という言葉で肯定するだろう。(そこにいくらかの諦めを含んでいたとしても)

ここには日本文学のお家芸(?)である「私小説」に通じるものがあるような気がする。

 

「負けることの可愛さ」か……。

若い頃の私には意味がわからなかったかもしれない。

五十を過ぎた今の私は、こんな言葉に胸がざわつく。

 

 

相続はお早めに

 

3年前に父が亡くなった時、遺産相続のあれこれを行政書士に頼んだ。多少お金がかかってもプロに任せたほうが安心だと思ったからだ。

私には姉が二人いるけれど、事前に話し合いは済んでいたので相続は簡単に終わるはずだった。まあ、遺産といっても貯金がいくらかと、あとは田んぼや家などの不動産があるだけだったので、骨肉の争いをするほどのこともない。

ところが意外に手間取ることになってしまった。

 

問題は不動産のほうだった。

田んぼはすべて父の名義だったので、これをそのまま私の名義にするだけでよかった。これは問題なし。

しかし家が建っているところの土地は父の名義ではなく、祖父の名義のままだったのだ。これをそのまま私の名義にするわけにはいかない。

祖父には4人の娘がいて、そのうち次女が家に残った。つまり私の母である(父は入婿なのだ)。だから祖父の財産は、ほかの3人の娘(私にとっての叔母・伯母)にも相続の権利がある。土地の名義を私(もしくは母)のそれに変えるためには、叔母たちの承認が必要になる。

ドラマなどではこういうところで揉め事が起こったりするものだが、さいわい叔母たちはいい人なので、土地を母の名義にすることをすんなり認めてくれた。ありがたい。

さて、これで相続の件は一件落着……といきたかったのだが、実はさらなる問題があったのだ。

 

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家の建物の名義がなんと曽祖父のものだったのだ。曽祖父、つまり「ひいじいさん」である。これにはさすがに驚いた。

なんでそんなことになっているのか見当もつかない。

今住んでいる家は私が子どもの頃に改築したものだが、その時に名義のことを考えなかったのだろうか。祖父はキッチリした性格の人だったので、そういうところをいいかげんにするはずはないのだが。

なにか理由があったのかもしれないが、今となってはわからないし、理由がわかったところで当面の問題は解決しない。

 

いったい何人が相続権を持っているのか。

曽祖父の子どもたち(祖父の世代)、さらにその子どもたち(父の世代)、さらにさらにその子どもたち(私の世代)、場合によってはさらにその下の世代まで……。その中で相続権がある人を特定し、現在住んでいる所を調べ、連絡をとって相続権を放棄してもらう。考えただけでもうんざりする。

もちろん行政書士に頼めばやってくれるだろう。しかしそれにどれだけの時間と費用がかかるのか。

また仮に連絡が取れたとして、全員が快く相続権を放棄してくれるとも限らない。かえって「やぶへび」になる可能性もある。

 

そのあたりのことを行政書士と相談した結果、家の建物の名義は曽祖父のまま放置することにした。そのままでも私が住み続けることに問題はない。

ただし勝手に家を売却することはできない。

どうしても家を売却したければ、建物を取り壊して更地にし、土地だけ売ることになる。(老朽化などの理由で)建物を壊すのは私の一存でできるらしい。しかしその解体にいくらかかるのか……。

まあ、まだしばらくはこの家に住むつもりなので、先の話にはなるのだが……。

 

それにしても相続というのはめんどうだ。

自分が死んだ後に誰かに何かを遺す人は、事前にいろいろ確認しておいたほうがいい。いわゆる「終活」というやつだ。

縁起でもないと思うかもしれないが、やっぱり必要なことですよ。

 

今週のお題「わたしの実家」

 

 

一番よりNo.2

 

いつも利用している動画配信サービスで、ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦の第3部スターダストクルセイダースのアニメを見ている。

 

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この第3部にホル・ホースというキャラクターが出てくる。

西部劇に出てくるようなカウボーイハットに拍車(ギザギザのやつ)付きブーツという格好で、主人公たちを殺しにくる敵キャラなのだが、どこか人を食ったとぼけた性格をしていて、妙に憎めないところがある。

この男、一人では行動せず、いつも誰かとコンビを組んで仕事をすることを信条としている。

インドで承太郎(主人公)たちを襲った時も、相棒である J・ガイル(こいつは正真正銘の下衆野郎なのだが)が先にやられて一人になったことを知ると、躊躇せずに相手に背を向けて逃げるという徹底ぶりだ。

その時の(心の中の)セリフがおもしろい。

 

こ…こいつはかなわんぜッ!

おれひとりじゃ完璧不利!

ここは逃げて次の機会を待つぜ!

おれは誰かとコンビを組んではじめて実力を発揮するタイプだからな……

「一番よりNo.2!」 

これがホル・ホースの人生哲学 モンクあっか! (太字は引用者による)

 

逃げるための言い訳みたいなセリフだが、この「一番よりNo.2」という言葉、なかなか含蓄があるというか、名言と言ってもいいのではないだろうか。

(「一番」と「一人」というのは微妙に違うような気もするが)たしかにそういうタイプの人もいるだろう。

例えばテニスで、シングルスではそれほどでもないが、ダブルスになると強さを発揮する人みたいに。

 

こういうタイプの人はむしろ「一番」にならないほうがいい。

なまじ「一番」になってしまったばっかりに、本来持っている個性や能力を発揮できなくなるケースというのはけっこう多いのではないだろうか。

例えば野球で、コーチとしては有能だったのに、監督としてチームを任されたらうまくいかなくなる人とか。

俳優で、脇役としていい味出していたので、思いきって主役に抜擢してみるとおもしろみがなくなってしまう人とか。

政治家で、官房長官としては「できる」感じだったのに、いざ首相になってみると急に頼りなく感じられる人とか。

 

「一番」になることが必ずしもベストとは限らない。

自分の「らしさ」を発揮できるポジションを見つけることが大事なのだ。つまりは己を知ることである。

 

……とはいえ、己を知りすぎてまったくチャレンジしなくなるのも考えものか。

自分が知ってる自分を「更新」するために、ときどきは「一番」にチャレンジしてみることも必要なのかも。

 

 

ultra sale

 

昨日、久しぶりでブックオフ「ウルトラセール」に行ってきた。本が全品2割引になるというアレだ。

以前はこの年3回(正月、ゴールデンウィーク、お盆)のセールは欠かすことのできない年中行事で、わざわざ前日に下調べして臨むほどの気合の入れようだったのだが、最近はスルーすることが多くなっていた。

やっぱりネットで本(古本)を買うことを覚えると、遠くの実店舗まで行くのがどうしても億劫になってしまう。

しかし今回は某店に欲しかった本があるとわかっていたので、己を鞭打つようにして出かけたのだ。

寒い中けっこう長い時間バイクに乗っていたので首から肩にかけてガチガチに凝ってしまったけど、目当ての本を買うことができてよかった。

 

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ついでにこんなものを作った。

『本好きのための替え歌~ウルトラセール編』

元歌は B’zultra soul(作詞・稲葉浩志)。曲がピンとこない人は、詞と楽曲を引用しているのでよかったら参考にしてください。

それではどうぞ。

 

『 ultra sale 』

どれだけ買えばいい 読む時間あるの?

分かっているのに 思いは揺らぐ

積み本ばかりを気にしてちゃ この瞬間(とき)を楽しめない メマイ

いいじゃないあれもこれも その手に本を取りましょう

古本が欲しいのなら 必ずきっと 独りで行きましょう

そして買い過ぎ ウルトラセール!

 

どれだけがんばりゃいい 誰かのためなの?

分かっているのに 決意(おもい)は揺らぐ

結末ばかりに気を取られ この瞬間(とき)を楽しめない メマイ

夢じゃないあれもこれも その手でドアを開けましょう

祝福が欲しいのなら 悲しみを知り 独りで泣きましょう

そして輝く ウルトラソウル

 


www.youtube.com

 

こうしてまた今年も本が積まれていく……。

 

 

新年の挨拶 2022

 

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします

 

はてなブログ」で3回目の新年の挨拶をすることができました。

飽きっぽい私としては奇跡的なことです。

これもひとえに記事を読んでくれるみなさんのおかげです。

ありがとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

今年のブログでやりたいことは前回の記事でだいたい書いてしまったので、それ以外の目標を考えると……「健康第一」ですかね。(笑)

なにをするにしても「体が資本」ということが身に沁みる中高年、ブログだって例外ではありません。持続可能なブログのためには心身ともに健康でなければ。(不健康ネタというのもアリな気がしますが)

 

よく食べて、よく寝て、よく読んで、よく書いて。

そんな感じの一年でありますように。

 

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2021年のブ活をふりかえる

 

ありがたいことに今年も一年ブログを続けることができた。

今年はこれが最後の更新になるので、今回は2021年のブ活(ブログ活動)をふりかえってみたいと思う。

 

今年は(この記事を含めて)79件の記事を書いた。昨年が87件なので1割ぐらい減っている。

更新の間隔も不規則だった。私の場合、経験上、野球の先発ピッチャーみたいに中(なか)3日ぐらいの更新がベストなのかなと思っているが、なかなかそのペースを守れない。休日に記事を書くことがほとんどなのだが、他にも用事がある時にはブログにまで手が回らなくなる。

ちなみに記事を書いてもその日のうちに更新することはほとんどなく、たいてい翌日の夕方に予約投稿している。その間にちょこちょこ文章の手直しをする。

 

このブログではこれまであまりアクセス数(PV数)の話はしてこなかったけれど、今回はいい機会なので正直に書いておこう。

きちんと記録を残しているわけではないのでおおよそのところだが、このブログには(平均して)一月で300ぐらいのアクセスがある。一日ではないですよ。一月です。

実は今年の2月ぐらいに「2年もやっててこのアクセス数はさすがに少ないのではないか」と急に焦りを感じて、いまさらながら「Googleサーチコンソール」と「Googleアナリティクス」を導入したのだ。しかし当然ながら導入しただけで数字が上がるわけではない。これらの分析結果をもとに、過去記事をリライトしたり、いわゆるSEO対策をしたりしなければならないのだが、私がそんなめんどくさいことをするはずもなく、結局何も変わっていない。(いろいろなデータを見るのはおもしろいけど)

いまでは「まあ、こんなもんだろう」という気になっている。なので、来年もたぶん、松山くんの「地を這うイーグルショット」なみに地面すれすれの低空飛行を続けることだろう。(ネタ元わかるかな?)

 

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記事の内容はあいかわらず雑然としているが、このブログは「自分が何をおもしろいと思うのか」を確認するために書いているようなところもあるので、雑然としているのはかえっていいことなのかもしれない。

その中で良かったことは『絵葉書を読む』という記事を継続して書けたことである。

これは古い絵葉書の絵や写真を紹介するだけでなく、その通信文も読んでしまおうという(考えてみれば無遠慮な)企画だ。

この記事では調べることがけっこう多くて書くのに時間がかかるし、絵葉書の収集熱もだいぶ冷めてきてはいるのだが、気に入っている企画なので来年も続けたい。

 

paperwalker.hatenablog.com

 

逆に今のところ企画倒れになっているのが『日本の文学』中央公論社が昭和40年前後に刊行した文学全集)を読むことで、せっかく勢いで全80巻を購入したのに、今年読んだのは第1巻の3分の1という体たらくだ。

これはいけない。このペースでは80巻読み終わるのは「来世」のことになってしまう。

来年は月に一回は記事が書けるくらいのペースで読んでいきたい。

 

paperwalker.hatenablog.com

 

この他でできなかったことに「期間限定の日記ブログ」というのがある。

実は「毎日更新の日記ブログ」というのにちょっとした憧れみたいなものがあって、「日記ブログこそブログの王道ではないか(知らんけど)」と思っているところが少しある。

しかし今の自分の状況(時間・気力・体力)を考えると毎日更新はやっぱり無理のような気がする。上に書いたように中3日ぐらいがいいところだ。

そこで一ヶ月の期間限定でやってみようかと思ったのだ。一ヶ月ならなんとかがんばれるのではないかと。

結局なんやかんやでできなかったけれど、これも来年やってみようかな。(でも大変そうだなあ)

 

ここまでブログを書くことばかりで、読むことについては触れてこなかったが、もちろん他人のブログを読むこともブ活のうちである。

これについても思うことがあるのだけれど、思いのほか長くなってしまったので、これについてはまたいずれ。

 

そういうわけで、今年一年、ブログを読んでくれたみなさんと、ブログを読ませてくれたみなさんに感謝いたします。ありがとうございました。お世話になりました。

また来年もよろしくお願いします。