以前、「アンティーク絵葉書を集めてみたい」というようなことを書いた。
ずっと保留にしていたのだが、最近になってポツリポツリと集め始めている。
まだ趣味といえるものではなく、これから趣味になるかどうかというぐらいの段階で、方向性というか、自分が何をおもしろいと思うのかを手探りしている感じだ。
上の記事でも書いているけれど、私は未使用の葉書よりも実際に郵便に使われたもの(実逓便)が好きで、いまのところ買った数枚の葉書はすべて使用済のものだ。やっぱり切手と消印に風情を感じる。
それに加えて、使用済の葉書のおもしろいところは、通信文が読めるところである。私は、買った葉書の通信文はできるだけ読むようにしている。
100年近く前の葉書とはいえ、人さまの手紙を読むのは倫理的にいかがなものかと思わなくもないが、そこはまあ「時効」みたいなものではないかと勝手な理屈をつけている。しかし「盗み読み」には違いないわけで、あまり上等な趣味とはいえないかもしれない。「密やかな愉しみ」といったところか。
ところが「できるだけ読む」とは言ったものの、これがなかなか難しい。
楷書で書いてあればいいが、崩し字や続け字で書かれている文章は難物で、前後の文意から考えてああでもないこうでもないと散々頭をひねり、それでも判読できなかったりする。ちょっとした古文書解読みたいなものだ。
達筆なのか悪筆なのかさえわからないような字を見ると、これでは手紙をもらった人も読めないのではないかと余計な心配をしてしまうが、読めるんだろうなあ、昔の人は。
漢字の崩し字はもちろん、ひら仮名だって難しい。現代とは違う字(いわゆる変体仮名)が使われていることもある。
たとえば〈の〉。私たちが現在使っている「の」は漢字の「乃」が元になっているが、これとは別に「能」が元になった(下の画像のような)〈の〉もある。
これなんかほとんどウルトラマンが使う「ウルトラ文字」にしか見えない。(若い人にはわからないか……)
もちろん〈の〉だけでなく、ほかのひら仮名にもバリエーションがある。こういう変体仮名は、明治・大正・昭和と時代が新しくなるにつれて(少なくとも印刷物からは)消えていったと思うが、個人の手書きの文章の中では昭和10年代でも現役のようだ。(もちろん書き手の年齢にもよるだろうが)
そうやって苦労して解読した文章に、昔の人の個人的でささやかな生活が浮かび上がってくる。それがおもしろい。(やっぱり悪趣味だろうか?)
このブログでは、今後ときどき購入したアンティーク絵葉書を紹介したいと思っている。
興味を持ってもらえれば嬉しいが、さて、どうなることか。
この(序)だけで終わったりして……。