何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

絵葉書を読む(その1) 関東大震災

 

前回の記事で予告したように、これからときどき購入した絵葉書を紹介していこうと思う。(飽きなければ)

その記念すべき第一回目はこちら。

『本所被服廠大正十二年九月一日大震大火焼死者納骨堂』

 

f:id:paperwalker:20201223150358j:plain

 

第一回目にしてはテーマが暗すぎるような気もするが……。

 

関東大震災についてはいまさら説明の必要はないだろう。

本所(現在の墨田区南部)の陸軍被服廠跡地は最も多くの死者が出たところで、その遺体はその場で火葬され、遺骨は仮設の納骨堂に納められた。昭和5年(1930)には正式な慰霊堂が完成し、遺骨はそこに安置された。

その後、昭和20年(1945)の東京大空襲による犠牲者も合祀し、昭和26年(1951)「東京都慰霊堂」と改称し現在に至る。(Wikipedia横網町公園HP参照)

画像の絵葉書がいつごろ作られたものかはわからないが、表の通信文と消印から震災の2年後、大正14年8月31日に出されたものだとわかる。ということは、描かれている納骨堂は仮設のものなのか。

左の方に立ち並んでいる巨大な卒塔婆がすごい。

 

この絵葉書は東京在住の某君が三重県の友人に宛てたものだ。学校がどうこう言っているので、二人ともまだ若い。

通信文の一部を引用してみよう。(旧字・旧仮名などは適宜変更)

 

〔明日の〕大正十四年九月一日午前十時五十八分は、当日を記念し嘗とむらう為、全市に数え切れぬ程色々の催しがあります。大東京市中を走る電車でさえ一分間停車、即ち黙祷するんです。兎に角そのセツナには誰しも呪わしき日を思出すでしょう。

 

その一方で彼は「もう三分の一は一昔になったね」とも書いている。いわゆる「十年一昔」の3分の1だ。(実際には2年しか経っていないが、三回忌などと同じ数え方なのだろう)

そして手紙の最後にはまだ学校(進学先? 転校先? 就職先?)が決まらないと書いている。

未曾有の震災の記憶と、ぼんやりとした自分の将来。

この翌年には大正が昭和に変わり、世の中は大きく動いていく……なんてことは、彼はまだ知らない。 

 

絵葉書というと風光明媚な観光地の写真が思い浮かぶが、昔の絵葉書には時事ネタというか、社会的なテーマのものも多い。

どうやら私はそういうものに興味があるようだ。