何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

絵葉書を読む(その13) 気の長い将棋

 

久しぶりの『絵葉書を読む』第13回。今回の絵葉書はこちら。

『京都鞍馬山 源義経背比石』

 

 

源義経遮那王)は、幼少の頃、京の鞍馬寺に預けられていたのだが、やがて奥州藤原氏を頼って寺を出奔する。その時名残りを惜しんで自分の背を比べたという石が「背比べ石」として伝わっている。(写真ではわかりにくいが、柵の中にあるのが「背比べ石」で、右手の石柱ではない)

 

と、まあ、これはどこにでもあるような観光地の絵葉書で、特別おもしろいものでもない。単に差出人が京都在住の人だから選ばれたのだろう。

今回この絵葉書を取り上げたのは、表の通信文が興味深かったからだ。さっそく引用してみよう。(旧字・旧仮名遣い等は適宜改めた)

ちなみに差出人は京都の佐竹某、宛名人は朝鮮に駐留している軍人の某、日付は昭和16年11月である。

 

将棋が中々盛んの様ですね。私の方の佐竹会会員小林四段が二段の時に、東京の人と将棋を差しました。これは一手一手はがきを以って、ニ六歩と出せば東京より八四歩、京都よりニ五歩又先方より八五歩と、一手一手気長に差しました。普通百手より一回ニ三十手位早くて、八九十手で勝負が付きますから、割と早く済みます。

目下、木村名人も弟子を連れて慰問将棋に出かけて居ります。用い方に依り役に立つ事と思います。

朝鮮京都間に開戦しましょか。何時でも応戦します。将校室の強い方と相談してお出し下されたく、陣中の慰となれば大変に結構と存じます。

 

文中にある「佐竹会」というのは差出人が主催する将棋の会派らしい。プロかアマかはわからないが、差出人も棋士なのだと思う。

その会の一人が、東京の人と葉書を使って将棋を差したという話である。当時の東京京都間の郵便がどのくらいで着くのかはわからないが、仮に一日として九十手で九十日、つまり一局終わるのに三ヶ月かかるわけだ。なんとも気の長い話である。

差出人はそれを京都と朝鮮で海を挟んでやってみないかと持ちかけている。いったい何日かかるのか……。

 

ネットを使って遠隔地の人とでもリアルタイムでやりとりできる現代人からすれば、ちょっと信じられないような時間感覚かもしれない。

しかしその気の長い将棋を想像すると、そういうのんびりとした感覚が少しうらやましいような気もする。

 

蛇足ながらもう一つ。

文中の「木村名人」とは、初の実力制名人戦を制して昭和13年に名人に就位した木村義雄のことだが、その名人が「慰問将棋」に行っていたというのが興味深い。

軍隊への慰問といえばいわゆる芸能人などを想像するが、棋士も行っていたのか。

この辺りのことももう少し調べてみたい。