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絵葉書を読む(その5) 明治天皇御大喪

 

『絵葉書を読む』第5回。今回の絵葉書はこちら。

明治天皇御大喪御霊轜馬場先通御』

 

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「霊轜」(れいじ)は霊柩を乗せた車のこと(轜車)。絵の右上に見える車がそうなのだろう。明治天皇の葬列を描いた葉書である。

 

明治45年7月30日、時の天皇崩御して「明治」という時代が終わった。そしてその日から元号が「大正」にかわる。

大喪に伴う様々な儀式を経て、約ひと月半後の大正元年9月13日に「葬場殿の儀」(一般の葬儀・告別式にあたる)が陸軍練兵場(現在の神宮外苑)で執り行われた。その後柩は特別列車などで京都に移され、伏見桃山の陵墓に奉葬された。

当日は多くの人々が宮城(皇居)を訪れ、また沿道で葬列を見送りその遺徳を偲んだという。

 

上の絵葉書の差出人も当日宮城に行った一人だ。表の通信文を引用する。

 

拝啓、其后(そのご)は意外に御無沙汰致し候(そうろう)。貴兄には如何御消光遊され居り候や。次に当校にては、一昨日御大葬奉送の為め、本科生だけ宮城前に参拝致し候。当日の雑沓の光景は新聞紙上にて御承知かは候はねども、吾等学生は余り困難せず参拝の出来し事は幸福と存じ候。同志会の諸君に宜しく。草々。 (消光=月日を送ること)

 

宛先が某(旧制)中学校の寮になっているので、宛名人も差出人も中学生(現在の高校生ぐらい)と思われる。(若いわりには古風な文章を書くものだ)

歴史的な出来事も、無名の一個人の手書きの文字で語られると、本で読むのとはまた違ったリアリティがある。 

 

ところで上の絵葉書に押された消印の日付は大正元年9月15日(夕方)で、通信文にもあるように、御大喪の翌々日に出されたものだ。そうすると、この絵葉書はものすごく急いで作られたことになる。

葬列が宮城を出たのが13日の午後8時。それから急いで(たぶん写真を見ながら)原画を描き、製版し、印刷し、絵葉書を作る。その絵葉書を販売店に卸し、店に並んだ絵葉書を差出人が買って、文章を書いて出す。この間約2日。

この絵葉書は私的な通信と同時に、公的なニュースをほとんどリアルタイムで伝えているわけだ。

絵葉書が一種のメディアでもあることの好例といえるだろう。