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絵葉書を読む(その14) 愛国婦人会

 

『絵葉書を読む』第14回。今回の絵葉書はこちら。

「愛国婦人会」が発行した絵葉書だ。

 

 

「愛国婦人会」は、佐賀県出身の社会活動家である奥村五百子が1901年(明治34年)に創立した団体である。

その主な活動目的は戦没将士の遺族や廃兵の救護・支援だったが、徐々に活動の幅が広がってさまざまな社会事業を行うようになる。

当初はいわゆる上流階級の婦人が会員の多くを占めたが、その後広範囲に会員が増加し、1907年(明治40年)には70万人ほどだった会員数が、日中戦争が始まった1937年(昭和12年)の時点では311万人を超える規模の団体になった。

しかし1941年(昭和16年)の定例閣議で「大日本連合婦人会」「大日本国防婦人会」との統合が決定され、翌年に「大日本婦人会」として統合・再編された。(以上、Wikipediaを参照)

 

上の絵葉書はその「愛国婦人会」が発行したものだ。

刈穂を背負う女性の絵と、左上に稲刈りをする女性たちの写真があって、「せめて家族に感謝の奉仕」という言葉が添えられている。また葉書の表には「写真は出征勇士留守宅の稲刈にいそしむ会員」という説明がある。

要するにこれは、男手を兵隊に取られた農家の手伝いをしているボランティア活動の様子を紹介した絵葉書なのだ。

 

消印は「瀧野川」(東京)で、日付は「昭和14年9月」である。

宛名人は中支(中部支那)派遣部隊の某氏だが、差出人の名前はなく、その代わりに「愛国婦人会瀧野川区分会」というスタンプが押されている。

つまりこれは個人的な手紙ではなく、「愛国婦人会」が活動の一環として地区の出征兵士に送った慰問の葉書なのである。

文面は以下の通り。(旧字・旧仮名遣いは現代的に改めた)

 

お元気でお国の為にご奮闘あそばしていらっしゃる由、共にお喜び申上げます。ラジオや新聞に依りますと、中支方面はすこぶる不順の天候の由、何卒(なにとぞ)御身充分においとい下さいませ。東京は暑い暑いと云っている中、も早やほのかに秋風が吹き初めました。私どもも銃後の護りを没我的精神でやっています。何卒ご安心下さいませ。

御武運長久をお祈り申上げます。

 

意地の悪い言い方をすれば、当たり障りのない、誰に対しても使えるような挨拶の葉書である。たいして意味のある内容とは言えない。

しかしそんな葉書でも、故郷を遠く離れた戦地でもらったら嬉しく思うのではないだろうか。

この葉書には二つ折りにした跡がついている。

もしかしたらこの葉書をもらった人は、それを二つに折って兵隊服のポケットに入れ、しばらくお守り代わりに持っていたのかもしれない……。

そんなことを想像してしまう。