何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

絵葉書を読む(その2) 帝国議会

 

《絵葉書を読む》第二回目。今回採り上げる絵葉書はこちら。

『(帝国議事堂)衆議院議場』

 

f:id:paperwalker:20210103233630j:plain


大日本帝国憲法の下、第1回の帝国議会が開かれたのが明治23年(1890)。しかしこの時はまだ正式な「帝国議会議事堂」はなかった。

正式な議事堂(現在の国会議事堂)が完成するのはそれから40年以上も後、昭和11年(1936)のことである。それまで議会が行われていた建物は、あくまでも「仮設」の議事堂という位置付けだった。(もちろん仮設といってもそれなりに立派な建物だったが)

上の絵葉書はその正式な議事堂の衆議院議場で、現在私たちがテレビの国会中継などで目にするものと大きな違いはないようだ。

……と、これだけならたいしておもしろい葉書ではない。わざわざ紹介するほどのものではない。

私が興味を持ったのは、この葉書の差出人である。

 

差出人の名前は秋田三一(さんいち)。

明治28年(1895)、山口県生まれ。熊本の第五高等学校を経て東京帝国大学法科大学を卒業。その後材木商、海運貿易、鉱業などを営む。

昭和14年(1939)貴族院議員に選ばれ、戦後の貴族院の廃止まで在任した。

つまり実業家にして政治家だった人だ。(Wikipedia参照)

帝国議会衆議院貴族院の二院制である。衆議院議員は一般から選挙で選ばれるが、貴族院議員は皇族や華族、帝国学士院会員、多額納税者など、俗な言い方をすれば「セレブな人たち」しかなれない。

この絵葉書は、その貴族院議員の秋田氏が帝国議会に出席するために上京した際、地元山口県の某氏に宛てた挨拶状なのである。

 

陳者今回第七十五帝国議会出席の為め着京、左記従来の仮寓に落着き申候間、何卒不相変御指導御鞭撻の程御願申上候。(以下略)

 

議会のために上京し、東京の別宅にいるので、近くにお越しの際はぜひお立ち寄りくださいといった内容だ。

文末の日付は「昭和十四年十二月十八日」。つまり秋田氏が議員になって最初の議会(通常会)出席ということになる。

その初めての議会出席の挨拶状を、普通の葉書ではなく、わざわざ議事堂を題材にした絵葉書で作るところが凝ってるなと思ったのだ。

文面は手書きではなく印刷してある(宛先宛名は手書き)ので、ある程度の枚数を作ったのではないかと思う。絵葉書自体は市販のものだろう。手間もお金も余計にかかったはずだが、その辺はさすがセレブというところだろうか。

初議会への意気込みが感じられる(ような気がする)。

しかしこの翌年、昭和15年(1940)にはすべての政党が解散して「大政翼賛会」 が成立し、議会は完全に形骸化してしまうのだが。

 

(今回は差出人が議員という公人・著名人であり、手紙の内容も当たり障りのない挨拶状ということで実名を明記した)