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絵葉書を読む(その12) ニッパハウス

 

『絵葉書を読む』第12回。今回の絵葉書はこちら。

『ニッパハウス(向井潤吉)』

 

 

「ニッパハウス」とは、ニッパヤシの葉を屋根や壁の素材に用いた家のことで、フィリピンなど東南アジアに多く見られる。

この絵葉書はフィリピンから差し出された「軍事郵便」である。

 

昭和16年(1941年)12月8日に太平洋戦争が勃発すると、日本軍はアメリカ軍が駐留するフィリピンに侵攻し、翌年6月までにほぼ制圧を完了する。

この絵の作者である洋画家の向井潤吉(1901 - 1995)は、開戦の昭和16年12月から報道班員(従軍画家)としてフィリピンに行き、数ヶ月活動している。この絵もその時に描かれたものだと思われる。

 

この葉書の差出人もフィリピンに派遣された部隊の1人である。同性の宛名人は実家の家族(父親?)だろう。

「軍事郵便」なので消印がなく、いつ頃出されたものかはわからないが、その内容がとても興味深い。

 

御便り拝見致しました。

本日会社より手紙が着き、小生の給料の内毎月廿拾円を送金致す事と成って、五月分は既に送金したとの由、御受取り下さい。

前信にて御願致して置ました小生の測量学を至急、重て御願申上ます。早々。

 

差出人の会社が、出征している差出人に本来支払われるべき給料の内、月「20円」を補償するかたちで家族に送金することになったので受け取ってくれ、という内容である。

当時の20円がどのくらいの価値なのか、ネットで調べてもはっきりとはわからなかったが(現在の感覚で数万円ぐらい?)、生活の助けにはなったはずだ。

出征している人にとって最も気掛かりなのは、残してきた家族のことだろう。自分が(経済的に)生活を支える立場であればなおのことである。だからこうして会社がいくらかでもお金を出してくれれば、少しは安心できる。

もちろんすべての会社がこんなふうに補償をしてくれるというわけではないだろう。ある程度大きな会社か、あるいは差出人がそれなりの地位にあったからか、いずれにしてもあまり一般的なことではないように思う。残された家族は、普通は自分たち(親族や地域社会も含めて)でなんとかしなければならなかったのではないだろうか。

文中にある「測量学」というのは本の名前か。差出人は測量士なのかもしれない。

 

昭和19年(1944年)10月、アメリカを中心とする連合国軍はフィリピン奪還のために侵攻を開始し、各地で激しい戦いとなる。両軍はもちろん、フィリピンの一般市民にも膨大な犠牲者が出る。

日本軍は敗走を余儀なくされ、その過程で、戦闘だけでなく飢餓や病気によってさらに多くの人命が失われた。

 

差出人がいつまでフィリピンにいたのかはわからないが、無事に家族の元に帰れただろうか。