何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

絵葉書を読む(その9) 歌は世につれ

 

『絵葉書を読む』第9回。今回の絵葉書はこちら。

東京市電車』

 

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昔の東京の路面電車の乗車風景なのだが……実は今回の話はこの絵とは直接関係がない。表の通信文に興味をひかれて購入したのだ。さっそく引用してみよう。(旧字・旧仮名遣いは現代的に改めた)

 

唯今の御葉書に依りますと、此の度の私の撰定したレコードの中二枚共書生節ばかりだとの御話ですが、私の撰んだのは残月一声松の声とだけですから、今一枚は何かは存じませんが、何卒御手数ながら直ぐに御返送を願います。本日今直ぐに出かけて、注文しない物をどうして送ったかを聞いて参ります。又余りに東蓄板で御聞き苦しいのが有りましたら、其の時一緒に御返送を願います。松の声を残すことを御忘れにならぬ様に…。(以下略、太字は引用者による)

 

差出人は東京の男性で、宛名人は岩手県盛岡市に住む同姓の女性である。

消印が一部不鮮明で年号が読みにくいが、たぶん大正9年だと思う。

(ここから先は推測だが)引用では省略したが、通信文の後半を読むと差出人は学生なのではないかと思う。住所の最後に「○○方」とあるのは下宿先だろう。だとすると宛名人の同姓の女性は実家の家族で、丁寧な文面から見て母親か姉ではないかと推測する。(もちろんその他の可能性もある)

差出人が宛名人にレコードを送ったのだが、何かの手違いで注文していないレコードが届いてしまったようだ。たぶん地方ではレコードの入手が難しいので、東京に出ている差出人に頼んだのではないだろうか。

もう少し詳しく見ていこう。

 

「書生節」とは、明治時代の初期、名前の通り書生(学生)たちが歌っていた歌である。内容は「将来大物になってやる」といった夢や志を歌ったものが多い。

これが明治20年前後になると、歌詞の内容が次第に社会的になり、世相の風刺や政治的主張が歌われるようになる。こういう歌は「演説歌」「壮士節」「壮士演歌」とも呼ばれ、街頭などでも歌われた。一種の路上パフォーマンスだ。

こうした街頭の歌も時代とともにその内容が変化していき、日露戦争明治37年)後には男女の恋愛などを抒情的に歌うような、いわば軟派な歌が増えてくる。

上の葉書の文中にある「松の声」明治40年)や「残月一声」明治41年)というのもこの頃のもので、どちらも神長瞭月という人が歌って流行した歌だ。

ちなみにこの神長という人は伴奏に初めてバイオリンを使って話題になった。大正時代になるとこんなふうに街頭で歌う人たちを「演歌師」と呼ぶようになったが、このバイオリン伴奏が演歌師の一つの定番のスタイルになった。

 

明治から大正にかけての歌の流行をまとめてみたが、こうした一連の歌を全部まとめて「書生節」と呼ぶこともあったようだ。

つまり「書生節」とは、狭義には明治の初期に学生が歌った歌を意味し、広義には明治から大正(昭和初期も含む)にかけて主に街頭などで歌われた流行歌の一つのジャンルという意味がある。

 

さて、もう一度葉書の通信文に戻ると、差出人は「書生節」と最近の流行歌である「松の声」をはっきり区別している。

この場合の「書生節」は明治初期のそれではなく、おそらく一昔前の「演説歌」や「壮士節」の類だと思われるが、いずれにしても、自分はそんな古くさい歌のレコードは送っていないと言っているのである。

ちなみに差出人が強く推している「松の声」という歌は、地方から上京して身を持ち崩したいわゆる「堕落女学生」を歌った歌だという。(歌詞の一部しか確認できなかった)

この「堕落女学生」というのは明治後期のゴシップの定番ネタの一つで、いろいろな小説にも描かれている。(田山花袋の『蒲団』〔明治40年〕もそうだ)

 

当時の庶民の娯楽の一端が垣間見える。

歌は世につれ、世は歌につれ……。