何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

本に挟み込む

 

前回、吉田絃二郎『わが旅の記』第一書房、1938)という古本を買ったらおもしろい書き込みがあった、という話をした。

 

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書き込みは本来なら歓迎すべきものではないが、内容によってはちょっと得をした気分になる。本に「おまけ」がついてきたような感じだ。

ところがこの本にはもうひとつ「おまけ」がついていたのだ。それがこちら。

 

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古い新聞記事の切り抜きが挟んであったのだ。

古本に何かが挟まれていることはよくある。栞がわりにしたレシートや映画の半券、古い葉書や写真、ときには紙幣が挟まれていた(へそくり?)なんて話も聞く。

書き込みと違ってこうした挟み込みは本を傷つけることはない、とは言い切れない。

挟まれていた物が劣化することによって、その前後のページにシミを作ってしまうことがあるからだ。とくに新聞紙のような質の悪い紙はそうで、実際に上の記事が挟まれていたところには薄いシミができていた。

そういうマイナス面もあるが、それ以上に内容が興味深ければ、やっぱりちょっと得した気分になる。

 

さて、上の新聞記事だが、写真の横に鉛筆で「13.10.12」という書き入れがある。つまり昭和13年10月12日の新聞だ。そしてもう一か所、見出しの下に「東京の旅よりかへりてあくる夜に」とも書かれている。東京の旅というのは本の書き込みに書いてあった通りだ。(前回の記事を参照)

 

paperwalker.hatenablog.com

 

この(旧暦)10月12日は、松尾芭蕉が亡くなった日(芭蕉忌)であり、それを記念して作家の吉田絃二郎が芭蕉の墓がある義仲寺(滋賀)で講演し、それが「午後8時40分」からラジオ放送されるのである。

しかもその途中で、吉田が書き下ろした「湖上の秋」という、琵琶湖上での芭蕉の有名な句会を描いたラジオドラマが放送されるらしい。こちらは京都のスタジオからの放送だ。

新聞でその記事を見つけて切り抜き、こうして本に挟んでいるところを見ると、この本の所有者はけっこう熱心な吉田の読者だったのかもしれない。

ちなみにこの記事の裏側はスポーツ欄になっていて、アメリカのメジャーリーグワールドシリーズニューヨーク・ヤンキースシカゴ・カブス)の試合記録などが載っている。

昭和13年といえば大陸では日中戦争が激しさを増しているころだが、こういう新聞記事を見ると、内地ではまだまだ文化的な余裕があったと感じる。

 

この切り抜きは、また本の間に挟んでおこう。

何年先か知らないが、古本屋でこの本を手に取ったどこかの誰かが、本を開いて「おっ、これは……」と思うことだろう。

 

 

本に書き込む

 

久しぶりに「ヤフオク」で古い本を買った。

吉田絃二郎『わが旅の記』第一書房、1938)。昭和13年の本だ。

 

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(画像はパラフィン付きの状態)
 

著者の吉田絃二郎は、戦前にはよく読まれていた作家だが、戦後はあまり読まれず、現在では(失礼ながら)忘れられた作家と言っていいと思う。

私も名前は知っていたが読んだことはなかった。

この本は、その吉田絃二郎の紀行文を集めた本……らしい。「らしい」というのはもちろんまだ読んでいないからで、パラパラっとめくっただけに過ぎない。

しかし読んだ部分もある。それは元の所有者の「書き込み」だ。

 

古本が好きな人なら経験があると思うが、買った本に書き込みを見つけた時のあの落胆をどう表現すればいいのか。

この時の反応は、たぶん、本の「値段」と書き込みの「量」によって違ってくる。

安く買った本に数行の書き込みなら「チッ」と舌打ちするだけで済むが、高価な本にたくさんの書き込みを見つけたときは絶望的な気持ちになる。

今回私が買った本はいつもながらの安い本(送料込みでもワンコイン)だったのだが、書き込みの量というか面積が問題だった。「見返し」の「遊び」の1ページまるまる、大きめの字で11行にわたって鉛筆による書き込みがあったのだ。

これはどうしたものか、と思った。これが高価な本なら返品するところだが、安い本だし、本文ページには書き込みはない。結局「まあ、いいか」ということで落ち着いた。

 

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(右が見返しの書き込み。左は著者の口絵写真。苦行僧のような渋い顔をしている)
 

長くなって申し訳ないが、いままでの話は「前置き」です。

「まあ、いいか」と思って、一応その書き込みを読んでみた。するとこれがなかなかいい文章だったのだ。(旧字は適宜改めた。□は読めなかった文字)

 

昭和十三年□月五日、東京への旅の車窓によまむとて求む。

往きの夜行にはにぎやかなりし子らの、かへりは一通のつかれに、はや東京を発つより、ひとりひとりふかき眠りにおちいりて、□□トンネルを去るころはめざめているもの我ひとりなり。

しづかに車窓にうつれるわが旅やつれの顔をみれば、まことに「ただ一人なる旅人」のすがたなり。この時始めて深き旅の哀しみ胸にみつ。

よき旅のおもひでも、かくて一人一人の胸の奥永に忘れ去らるべし。かくてかのなつかしき旅の記憶を刻むもの、つひにわれひとりのみとなるべきか。

    ひとりしづかふたりしづかも霧のおく

  昭和十三年十月十一日未明 東京よりかへるさの車中にて

 

東京へ子どもたちを連れての旅行の帰り、この旅人氏はもの思いにふける。

行きの夜行でははしゃいでいた子どもたちも、いまは隣ですやすやと眠っている。この子たちは、この旅行のことを大人になっても覚えているだろうか?

ふと、自分も、この子たちも、一人一人が自分の人生を旅する旅人なのだと思う。

旅の時間を誰かと「共有する」ことはできる。しかし旅そのものを共有しているわけではない。同じ道を歩いていても、人それぞれの旅がある。

大切な家族がいる。良き友もいる。決して一人で生きているわけではない。しかし、それでも、根本的なところで人は一人なのだ……と、旅人氏は思った、かもしれない。

 

夜汽車の中で、そんなことを本の見返しに走り書きする旅人氏。

その個人的な文章を80年後に読んで、無名の旅人氏のことを思う私。

交わるはずのない人生が交わる不思議。

 

 

絵葉書を読む(その4) えずこ

 

『絵葉書を読む』第4回。今回の絵葉書はこちら。

『東北風土記 東北娘独特の風俗「エヅコ」』

 

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写真の部分を拡大したのがこちら。

 

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この赤ん坊がすっぽり入っている籠のようなものが「えずこ」(えづこ)である。

赤ん坊を寒さから守るためのもので、稲わらを編んで作られている。

東北地方全般に見られたものらしいが、名前が地域によって多少違っていて、「えじこ」「いじこ」「いずめこ」「えんづこ」などとも呼ばれている。

昔は(東北の)どこの農家にもあったが、1950年代の後半ぐらいから見られなくなっていったという。

古い絵葉書には、こうした現代では失われた風習・風俗が描かれているものもあって興味深い。

ちなみに山形県庄内地域鶴岡市には「いずめこ人形」という工芸品かがあって、その姿を現代に伝えている。

 

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 鶴岡市の「いずめこ人形」(画像はウェブサイト「山形県ふるさと工芸品」から借用)

 

それでは表の通信文を読んでみよう。(旧字は適宜改めた。□は読めなかった文字)

 

既に御承知の「エヅコ」を御紹介致します。

秋田市へ参りました。この夏には版画のなかなかよいのがあり(絵葉書)ましたので、探しても、一寸やそっとでは今は見[つ]かりも致しません。

これから□□へ廻ります。車中、倉田氏、農の民俗学を読破したいと思って見て居りましたが、十頁程□□進行度です。

「国光」が□しく車窓へ飛び込みました。匆々。

秋田ー大館間 車中にて

 

差出人は秋田に来ていて、そこでこの絵葉書を買い求め、移動の車中で書いたものらしい。(国光〔こっこう〕はリンゴの品種のことだと思うが、読み違いかもしれない)

興味深いのはこの葉書の宛先だ。「東京都西ヶ原町」にある「農事試験場」の某様宛になっている。

農事試験場は、現在でいう農業試験場であり、農作物の品種改良や効率的な農法などを研究するところである。おそらく宛名の某氏はそこに勤めている人なのだろう。そういう職業柄、地方の農村の風習・風俗にも関心を持っているのではないだろうか。

差出人も『農の民俗学』などという本を読むくらいだから、なにか農業に関係した仕事をしているのかもしれない。

 

なんとなくのんびりとした内容の手紙だが、消印の日付は昭和19年11月9日。

絵葉書の表には、目立たない小さな薄い字ではあるが、「国策に副ふて備へよ 身と心」というスローガンが印刷されている。

 

(「えずこ」に関しては 酒井惇一氏による下記のコラムを参照させていただいた)

 子守用のわら工品・「えずこ」【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第100回|昔の農村・今の世の中|コラム|JAcom 農業協同組合新聞

 

 

ホームズコレクター

 

また北原尚彦さんのホームズ本を読んでいる。

北原尚彦『シャーロック・ホームズ秘宝館』青弓社、1999)

 

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ただし、前回の『初歩からのシャーロック・ホームズ』がホームズ紹介の「王道」だとすれば、この本は、なんというか、ほとんど人が通らない「裏道」みたいなものだ。「秘宝館」と言うにふさわしく、一風変わったホームズ関連本(グッズ)が集められている。

 

北原さんはホームズ研究家なのだが、ホームズに関連するものなら(たぶん)なんでも集めるコレクターでもある。その蒐集はバラエティに富んでいる。

ホームズほどの有名キャラクターになると、小説だけでなくさまざまな媒体(漫画、映画、ゲームetc.)に登場している。

その登場の仕方もいろいろで、「シャーロック・ホームズ」本人がそのまま登場するだけでなく、ホームズもどきシャイロックボトムズとか、そんな感じの)として登場することも多いし、またほかのキャラクター(ミッキーとかマリオとか)がホームズ風の衣装を着て登場するパターンもある。ホームズ風とは、要するに、ディアストーカー(鹿撃ち帽[下図])をかぶって、インバネスコートを着て、手に虫めがねパイプを持った格好のことだ。

こういうものがすべて蒐集の対象になる。

 

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この本では、その蒐集品の中からとくに変わったものが紹介されている。

バットマンと共演しているアメコミや、ホームズとワトソンのBLコミック、子ども向け学習雑誌の付録、お蔵入りした(未制作の)B級映画のシナリオ、さらには生命保険会社のパンフレットなどなど。いったいどこから見つけてくるのかと思うものばかりだ。

もちろん海外からも購入している。あちらにはホームズ関連専門の古書店(ミステリー専門ではなく、ホームズ専門)まであるという。

なんのジャンルであれ、ディープなコレクターの世界というのはすごい。

たとえば普通の人は、ここで紹介されている(ネイティブ・アメリカンの)ナバホ族の言語で書かれたホームズ本を見て、「そんな読めない本を買ってどうするの?」と考えると思うが、コレクターはそんなことは考えない。考えるより先に「欲しい!」と思ってしまうんだろうなあ。

 

なぜそんなものまであるかは問わないでほしい。本の形をしていてホームズに関係があれば、なんでも買ってしまうのである。(p.84)

 

コレクターの世界は奥が深いというか、業が深いというか……。

 

 

干し柿

 

月に一度、全国のおいしいものが届くという頒布会のようなものに入会している。

これは自分で希望して入会したわけではなく、まあ、浮世の義理というか、ちょっとした付き合いみたいなものなので、そんなにうれしいものでもない。

そもそも遠方から取り寄せてまでおいしいものを食べたいというほど食にこだわりもなく、どちらかといえば地産地消が望ましいとも思っている。なんといっても不経済だ。

と、文句を言いながら、毎月おいしく食べている。

 

今月は干し柿が届いた。

そんなにしょっちゅう食べたくなるようなものではないが、一年に一回ぐらいは食べたくなる。近くのスーパーにも売っているけれど、(私の感覚では)けっこうな値段なので、自分で買おうという気にはならない。

なので、こういう機会(どうしてもお金を使わなければならない状況)に注文していたのだ。

ねっとりとして、それでいてしつこくない甘さがいい。

 

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はっきりとは覚えていないけれど、私が幼稚園に行っていた頃には、家でも干し柿を作っていたように思う。たしか柿の木もあったはずだ。

自分の家で食べるだけではなく、ひょっとしたらどこかに少し売りに出していたかもしれない。

渋柿の皮をむき、四つか五つ縦に繋げて軒下に並べて干す。どのくらいで干し柿になるのだろうか。それであの渋みが甘みに変わるのだから、考えてみれば不思議なものだ。

 

そういえば数年前、バスに乗って都市部の大型書店に向かっていたときのこと。

高層のマンションやビルが建ち並んでいる所で、何気なく窓の外を眺めていると、あるマンションの五階のベランダに干し柿が吊るしてあるのが見えた。

まだ干して間がないのだろう、鮮やかな橙色が、灰色がかった周りの風景の中でひときわ目立っていた。

こんな街中のマンションに田舎じみた干し柿があるのがいかにも場違いで、なんとなくユーモラスに思えた。

そんなことを思い出した。

 

マンションの五階に吊られた干し柿の色

暖かい冬の日の午後

 

 

ホームズ再入門

 

以前、イギリスのグラナダテレビで制作されたドラマ『シャーロック・ホームズの冒険』が好きだという記事を書いた。

 

paperwalker.hatenablog.com

 

そのあと本屋をうろうろしていたら、最近刊行されたこんな本を見つけた。

北原尚彦『初歩からのシャーロック・ホームズ中公新書ラクレ、2020)〔画像は帯付〕

 

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ちょうどホームズに対する興味が再燃してきたところだったので、さっそく読んでみた。

 

まず冒頭で『シャーロック・ホームズ』の原典と、数種類ある翻訳(文庫本)を紹介してくれる。翻訳にはそれぞれの特徴があって、テキストを選ぶところから始める初心者にはありがたい助言だ。

続く第2章では主要な登場人物の紹介、第3章ではホームズの物語の時代的・地理的背景の説明。そして第4章でいよいよ「正典」シャーロッキアンはホームズの小説のことをこう呼ぶらしい)そのものの解説に入る。

ホームズの「正典」は、長篇が4篇、短篇が56篇の計60篇ある。本にして9冊。

北原さんはこの60篇を一つずつ、本の刊行順に、簡潔に全部紹介する。(もちろんネタバレなしで)

 

しかし私が興味深く思ったのはこのあとだ。

「正典」60篇を読んだ次の段階として、本書では多くのホームズのパスティーシュやパロディといった、いわゆる「二次創作」を紹介している。

パスティーシュ(模倣)というのは、ほかの作家ができるだけ原典に忠実に(真面目に)書いた続篇やスピンオフ作品のことで、パロディというのは原典から逸脱した要素を含む(遊び心のある)作品といえばいいか。

 

ホームズの「正典」は長短合わせて60篇あると書いたが、逆に言えば60篇しかない。

その60篇を読み終えてしまえば、もうそれ以上新しいホームズの物語を読むことはできない。もちろん「正典」を何度も読み返すことはできるが、もっともっとホームズの活躍を読みたい、読み終わりたくない。

そういう気持ちの読者がたくさんいるから、作者コナン・ドイルの死後も、別の作家によって多くの「二次創作」が作られ、読まれているのだろう。(著作権が切れたという現実的な理由もあるのだろうが)

それほどホームズというキャラクターが傑出していて、愛されているということだ。

 

それらを追いかけているうちに、新たなホームズの本が出版されます。そうやって読み続けている限り、わたしの中でシャーロック・ホームズはいつまでも終わらないのです。ずっと楽しみ続けることができるーーそれが「ホームズという文化」の魅力です。(p.235)

 

なんだか楽しそうだな。

私はドラマは見ているけれど、小説の方はかなり昔に2、3冊読んだきりだ。

これを機会に読んでみようかな。

 

 

絵葉書を読む(その3) 修学旅行

 

『絵葉書を読む』第3回。今回の絵葉書はこちら。

『(福博名勝)大濠公園

 

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福岡市にある大濠公園を描いた、多色刷りの美しい絵葉書だ。

かつて福岡城の外濠だったこの土地は、昭和2年(1927)の東亜勧業博覧会を機に整備され、昭和4年(1929)に大濠公園として開園する。(後述するように)この絵葉書は昭和14年に差し出されたもので、開園して10年、まだ「新名所」と言っていい頃の風景だ。

 

しかし今回の話は大濠公園には直接関係はない。

私の興味をひいたのは表の通信文である。以下はその全文。(旧字旧仮名は適宜改めた。文中の太字は引用者による)

 

拝啓、先日は御葉書難有(ありがたく)受取りました。早速返事致す所、試験、就残におわれるまま失礼、御許し下さい。

六月八日午後五時四十八分大阪発にて九州廻遊修学旅行の途に上る。

健康状態も好調。筥崎宮太宰府天満宮に詣で、唯今長崎着。以後、雲仙、阿蘇、霧島等に行く予定。帰路は別府より海路大阪に戻ります。

又何か夏季休暇には出掛け度いと考えて居ます。

乱筆御許し下さい。

 

差出人は大阪あたりの学校の先生ではないかと想像する。 いまは生徒を引率して九州に修学旅行に来ているという状況ではないだろうか。

 

日程をもう一度整理してみよう。

6月8日、午後5時48分、大阪発。この時間に出発ということは、最初の夜は車中泊ということだろうか。

翌日、福岡着。その足で筥崎(はこざき)宮と太宰府天満宮に参拝。(筥崎と太宰府の間もけっこう距離があるのだが)

午後、長崎着。差出人の住所欄に書いてある「大宝館」という旅館かホテルに投宿し、一息ついてこの葉書を書き、ポストに投函した……と、こんな感じだろうか。

葉書の消印は「長崎/14.6.9/后8-12」、つまり昭和14年6月9日午後8時から12時である。

出発からちょうど丸一日が経っている。というか、一日でこの移動はかなりの強行スケジュールではないのか? このあとぐるっと九州をまわるようだが、この分では残りの旅程もあわただしいものになりそうだ。

旅の情緒を感じる暇もなさそうだが、修学旅行なんてそんなものかもしれない。

 

福岡で買った絵葉書を、長崎に着いて(書いて)出す。それがあわただしい旅行の移動をそのまま表しているようでおもしろい。

それにしても、すでに日中戦争が始まっていたのに、昭和14年にはまだ修学旅行に行く余裕があったんだな。