何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

本屋には一人で行きたい

 

先日、例によって例のごとくブックオフで本を見ていた。

すると私の背中の方で男子高校生が話をしているのが聞こえてきた。

「俺、いま伊坂幸太郎読んでるんだよね」

「誰、それ?」

「えっ、おまえ伊坂幸太郎知らんの?」

「知らん。東野圭吾は知ってるけど、その人は知らん」

「マジで? ヤバくね?」

みたいなことをしゃべっている。声がデカい。私はだんだんイライラしてきた。

 

それに比べて、私の左側数メートルのところにいる女子高生は一人で黙々と棚の文庫本を吟味している。

真剣に本に集中している姿がいい。好感が持てる。(単に私が若い女の子が好きということではない。たぶん)

本屋では客はこうあるべきだ、などとちょっと偉そうに思う。

 

しかし、この男子高校生はちゃんと本の話をしているだけまだいいほうだ。

別の日に見た若い女性の二人連れは、棚の前で延々とおしゃべりをしていたのだが、聞こえてくるのは仕事の愚痴と上司の悪口ばかり。棚の本を見てもいない。

「そういう話は会社の給湯室でしてくれ!」

と言いたくなった。(言えないけど)

 

f:id:paperwalker:20220304225146j:plain

 

そもそも本屋というのは一人で来るところではないだろうか。

いや、まあ、友達との買い物やデートのついでに寄ることもあるだろうから、「必ず一人で来い!」と果し合いみたいなことは言わないが、でも基本的には一人で来るところだと思っている。

本好きにとって本の話ができる友達というのは貴重な存在だ。だから一緒に本屋に行ってあれこれ話したくなるのもわからなくはない。しかしその場合でも、本屋の中では別行動で、本屋を出てから話したらいい。

 

なぜそんなに一人にこだわるかというと、本屋というのは人と会話するところではなく、本を選ぶという行為を通して本と対話するところだと思うからだ。

そして一冊一冊本を吟味する過程で、人は自分自身とも対話し、自分の趣味嗜好や好奇心のあり方を再発見する。(おおげさに言えば)人は本屋で自分自身を再発見するのだ。

だから人と話をせずに本に集中したほうがいい。

 

うーむ、なんだか偏屈なオッサンの屁理屈みたいになってしまった。

一応断っておくけれど、私がこんなことを言うのは、一緒に本屋に行ってくれるような友達がいないからではないのですよ。

いや、まあ、いないんだけどさ……。