何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

そうだ、京都に行こう

 

はてな」の今週のお題が「試験の思い出」になっているのを見て「ああ、そうか、受験シーズンか」と気づいた。

私の大学受験はもう30年以上も昔のことになる。

いまもだいたい同じようなものだと思うが、私が受験生の頃は本命、対抗(?)、すべり止めと3、4校受験する人が多かった。私も3校受けた。

本命のA校と対抗のB校はどちらも九州の大学だった。進学で実家を出ることは決まっていたけれど、親は私があまり遠くに行くことを望まなかったし、私も一人暮らしができるなら場所にはあまりこだわらなかったので、これはまあ無難な選択と言えた。

ところがもう一つのすべり止めに、私は京都にあるC校を選んだのだ。

 

唐突に京都などという場所が出てきたものだから、当然親も担任の先生も困惑していた。C校もとくに有名な大学というわけではない。

私はそれらしい理由をでっちあげ、最終的にはどうせすべり止めだからということで無理矢理周囲を納得させた。

どうして京都だったのか?

はっきりした理由は自分でもよくわからない。本当に「そうだ、京都に行こう」みたいなノリだったような気がする。もう少し詳しく言えば、冬の京都を一人で歩いてみたいという失恋したOLみたいな気分というか。

 

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試験の前日に新幹線で京都に入り、学校が推薦していたホテルにチェックインすると、私は京都の街に出た。

それが京都のどの辺りだったのか覚えていない。行きたいところがあったわけでもなく、地図も持たずにただ勘にまかせてずんずん歩いていった。

3時間ほど歩いただろうか。どこをどう歩いたのかも覚えていない。その時18歳の私がなにを考えていたのか、なにを思ったのか、なにを感じたのか、さっぱり覚えていない。ただ知らない街を一人で歩いているという感傷だけがあったような気がする。

いや、一つだけ覚えていることがある。

行き当たりにあまり上等とはいえない食堂に入って「にしんそば」を食べたのだ。それが京都の名物だと何かで知っていたのだろう。たいしてうまいものでもなかった(少なくとも若者向けの食べ物ではない)。そこの店主の親父が常連らしい客と世間話をしているのを聞いて「ああ、本当に京都弁でしゃべってる」と思った。

それだけだった。

 

結局私は本命のA校には落ちたものの、対抗のB校に受かったのでそちらに進学した。A校はもともと当落が微妙だったので、まあ想定の範囲内だった。

京都のC校にも受かっていたけれど、それはもう意識の外だった。

実を言えば、今回この記事を書くまで京都に受験に行ったこと自体忘れていたのだ。思い出にもなっていなかった。

しかし……もしあのまま京都の大学に進学していたら……いったいどういう人生になっていただろう。

やっぱりいまとたいして変わらない人生だったのか、それとも、いまより多少はマシな人生だったのか……。

つまらないことだけど、ふとそんなことを思った。

 

今週のお題「試験の思い出」