何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

漢詩でララバイ

 

二十代の頃、ちょっと荒んだ生活をしていた時期がある。

といっても悪い事をしていたわけではなく、ほとんど無職でぶらぶらしていただけなのだが。

その頃の一日はだいたい午前10時とか11時ぐらいから始まる。とりあえず飯を食ったら、さて、今日は何をして時間を潰そうかと考える。

考えるといってもだいたいやることは決まっていて、多少お金がある時(ときどきは日雇いの派遣の仕事をしていた)はパチンコに行く。お金がない時は図書館か、ブックオフで漫画の立ち読み。外に出るのも億劫だったり、雨が降ったりした時には家にこもって一日中テレビを見る。たいていこの三つのどれかだった。

そうやって毎日をやり過ごしていた。

 

こういう生活の常として、寝る時間がどんどん遅くなる。

眠くないというわけではない。でも眠りたくなかった。

夜中、ときには明け方までだらだらとテレビを見ていた。リアクションが大きい外国人のテレビショッピングだったり、エンドレスのニュースだったり、何かしら番組をやっていた。

別におもしろくて見ていたわけではないが、一つだけ楽しみにしていた番組があった。

朝の5時に放送していたNHK漢詩紀行だ。(たぶん再放送)

 

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漢詩(読み下し文)の朗読と解説で構成された一本5分の番組で、それを二本ずつやっていたと思う。

漢詩なんて高校の国語の授業で習ったきりで、とくに興味があったわけではないけれど、この番組は好きだった。

なんといっても朗読がいい。朗読していたのは中村吉右衛門さんと江守徹さんである。渋い、渋すぎる。

この朗読を聞いて「漢詩って、けっこうカッコいいかも」と思ったりした。

とくに江守さんがあの低くて重みのある声で、漢文独特の言い回し、たとえば「○○として××たり」とか「いずくんぞ□□や」とか読み上げるのが、なにかもうある種の呪文の詠唱のようでもあり、眠くて朦朧としている頭に心地よく響いてくる。

それにナレーションの広瀬修子さん(当時NHKアナウンサー)の穏やかな語り口、少し古めかしい中国の映像、中華風BGM(?)が合わさって、知らず知らずに眠りに落ちていくのだった。(眠くなる番組という言い方は失礼だけど)

そして10時か11時頃に起きて……。

 

まあ、♪そんな時代もあったねと、ってことだ。

いまではすっかり真面目な労働者になって、朝4時半に起きる生活をしている。

さすがにもうあそこまで自堕落な生活をすることはないだろう。(たぶん)

 

それにしても、あの頃はなぜあんなに眠りたくなかったのか。

あるいはずっと起きていれば、眠りさえしなければ、「明日」にはならないと思っていたのかもしれない。

「明日」なんか来なければいいと思っていた。

「明日」が怖かった。

そんな日々だった。