何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

アメリカに行きたかったころ

 

先日、46年続いたクイズ番組『アタック25』が終了した。

大人になってからはあまり見る機会がなかったが、10代の頃はわりとよく見ていたと思う。

昔(70年代後半から80年代)はこういう視聴者参加型のクイズ番組がけっこうあって、子どもには難しいところもあったけれど、私は好きだった。

タレントが回答者の場合は、真剣にやっていたとしてもどこかで「演出」を意識しているものだが、素人はそんなことはお構いなしなので、何かむき出しの人間臭さのようなものがあったように思う。(もちろん「いま思えば」であって、子どもの頃にそんなことを考えていたわけではない)

 

その視聴者参加型のクイズ番組の中でもとりわけ大好きだったのがアメリカ横断ウルトラクイズである。

1977年から始まって、年に1回、16年にわたって開催(のちに復活1回)された。

名前の通り、参加者がアメリカ大陸を横断しながら(ときには南米やヨーロッパにも行った)勝ち残りのクイズをしていくという、超大型のクイズイベントだ。

ジョジョ』第7部の「スティール・ボール・ラン」みたいなものである。

 

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簡単に流れを説明すると、まず8月中旬に後楽園球場(のちに東京ドーム)で大規模な1次予選が行われ、100名ほどが通過する。

日を改めて、渡航準備をして羽田空港に集まった参加者は、2次予選の「ジャンケン大会」で半分に減らされる。クイズの予選なのにジャンケンで決まるのである。なにしろ番組のキャッチフレーズが「知力、体力、時の運」なのだ。

ここから先が本選なのだが、飛行機内でのペーパーテスト、サイパンの「どろんこクイズ」などで「ふるい」にかけられ、アメリカ本土に上陸できるのは10〜20名である。

それから集団で移動しながら、各地に設けられたチェックポイントでクイズをして、その都度1、2名が敗者となって脱落していく。敗者は「罰ゲーム」ののち即刻強制帰国となる。

最終的に2人が残り、一対一の勝負(10問先取)で優勝者が決まるのだ。

 

この全過程が(ちょうど今頃の時期に)『木曜スペシャル』という2時間枠の番組で4回(4週)にわたって放送されるのである。テレビ番組としても大型だ。

私はこれが毎回楽しみで、手に汗握って視聴して、次回が待ち遠しくてたまらなかった。

参加者たちの間には、短期間とはいえ寝食を共にしているので(ライバル意識も含めた)ある種の仲間意識が生まれている。その仲間とクイズで闘って、一人また一人と櫛の歯が欠けるように消えていくのである。

現地リポーター兼出題者の福留功男さん(当時日本テレビアナウンサー)が敗者の一人一人に声をかけていくのが印象的だった。勝者よりもむしろ敗者にスポットを当てていて、そこに渋い「人間ドラマ」が感じられた。

実際参加者の中には、1次予選を通過した時点で会社を辞める人もいた。仮に決勝まで進めば、2週間近く日本を離れることになる。その間会社を休めるわけもない。まさに人生を賭けてのチャレンジだ。

なにが彼らをそこまで突き動かすのか?

子どもながら、そこに何か言いようのない熱いものを感じていた、ような気がする。

 

私も早く大学生になりたかった。そして後楽園球場の予選に行って、

アメリカに行きたいかー⁉︎」

という呼びかけに

「オオォォー‼︎」

と応えたかった。

それは「夢」といってもよかった。

 

しかし、私は大学生になっても予選には参加しなかった。番組の終了が1992年だから、4回はチャンスがあったはずなのに。

もうそんな夢みたいなことに時間とお金を使うような人間ではなくなっていたのだ。

仮にいま、もう一度番組が復活しても、やはり私は参加しないのだろうな。

子どもの頃のような熱い気持ちは、もうなくなってしまった。