「はてな」の今週のお題が「下書き供養」というもので、これはつまり、いままで「下書き」として放置していた文章を公開してみようという企画だ。
そこで私も、どのくらい下書きの文章が溜まっているのかと管理画面で調べたところ、20個ぐらいの記事が書きかけのまま放置されていた。
書き始めたもののうまく話が進まなかったり、途中で別のアイデアが浮かんだり、飽きてしまったりと、記事を途中で止める理由はいろいろあるけれど、かといって捨ててしまうのはもったいないような気がして、また今度続きを書こうとそのまま放置してしまう。
しかしその記事が後日完成されることはまずない。
なるほど、確かに記事になり損なった文章の墓場のようでもある。
しかしその中で一つだけ、書きかけではなく、一応完成した(と思われる)記事があった。
一年ぐらい前の今週のお題のための記事で、「卒業」がテーマになっている。
完成したのなら公開すればよかったのに、なぜか「下書き」として放置されている。いまとなってはその理由も思い出せない……が、なんとなく想像はつく。
タイトルで【戯文】と断っている通り、どうでもいい内容なのだ。書いてはみたものの、あまりの内容のなさに公開をためらったのではないかと思う。一年前の私は、ブログの記事に対していまよりも真面目だったのかもしれない。
いまの私はその辺がだいぶユルくなっているので、この機会にその記事を公開しよう。
供養というより、墓場から出てきたゾンビのようなものだが、これでこの記事も「下書き」から「卒業」ってことで……。
【戯文】かってに卒業
「卒業」という言葉は、昔は主に春の学校行事として使われていたと思うが、いまは用途が拡がっているような気がする。
アイドルグループから誰かが脱退するのを「卒業」と言うようになったのはいつからだろう?
一人だけ歌が上手いからソロ活動をするとか、他のメンバーと「反り」が合わなくなったとか、なんかもう飽きちゃったとか、そういう諸々の、ときにはドロドロの理由のための脱退でも、「卒業」という言葉を使えばなにか前向きな感じがしなくもない。終わりじゃなくて、新たな始まり、みたいな。
同じような言い換えの例をいくつか考えてみると、
・番組の視聴率が低迷しているので司会者降板→番組を卒業
・会社をクビになる→会社を卒業
・妻に捨てられた→結婚を卒業
・なんかやらかして刑務所へ→娑婆(シャバ)を卒業
・刑期を終えて出所→ムショを卒業
・死→現世を卒業
などなど。
このように人生のさまざまな局面に「卒業」という言葉が使われる。人生は「卒業」の連続だ。
そのたびに私たちの頭の中には「仰げば尊し」や「蛍の光」や「贈る言葉」(歳が知れるなあ)が流れ……たりはしないが、そういえば、閉店時間になると「蛍の光」を流すパチンコ屋があったなあ、などということを思い出す。
私はもうしばらく現世に「留年」します。
(なんだか久米田康治の漫画みたいになっちゃったなあ……)
今週のお題「卒業」