何を読んでも何かを思いだす

人生の半分はフィクションでできている。

小銭を拾いに

 

私は過去に一度だけ、お金を拾いに行ったことがある。

 

独り暮らしをしていた二十代の一時期、私はどうしても働きたくなかった。

といって、別に多額の貯金があるわけではなく、ましてや不労所得がある身分でもない。わずかばかりの貯金を使い果たした後は、必然的に生活が困窮する。

そういう時は、恥ずかしながら、なんのかんのと理由をでっちあげて親に無心したりしたけれど、そんなことが何度もできるはずもなく、ある日とうとうすっからかんになってしまった。

 

陽がだいぶ傾いていた。

腹が減った。

さいわいまだ米は少しあったが、おかずが何もない。

ご飯に醤油でもかけて食べればいいのだが、そこは食べ盛りの二十代のこと、なんでもいいからおかずが欲しい。

そのためには小銭でいいからお金が欲しい。

思案した結果、私がとった行動は「お金を拾いに行く」というものだった。

 

もちろん闇雲に探すわけではない。狙いは自動販売機だ。

しかしいきなり自販機の下を覗き込んではいけない。不審者だと思われる。

まず自販機の前に立ち、ポケットから財布を取り出し、小銭をつかんで投入口に……と、うっかり小銭を落としてしまい、かがんで自販機の下を覗き込む……という「演技」をするのだ。

これなら不審に思われずに自販機の周りを探せる(と思った)。

そんなことで本当にお金が見つかるのか?

見つかったんだな、これが。

私は5ヶ所の自販機(複数設置の場所も含む)をまわって百円玉3枚を見つけた。

そのお金を持ってスーパーに行き、とりあえずもやしを買って帰り、炒めて食べた。

  

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今から考えれば、変なことしたなあと思う。

小銭を得るにしてももっと確実で合理的な方法があったはずなのに、 なんでこういう行動をとったのか。考え方に飛躍がありすぎるというか、ちょっとズレている。

しかしあの時はこれが一番いい方法だと思ったのだ。

それに、こんなことをしていても、不思議と恥ずかしいとか惨めだという気持ちにならなかった。長く自堕落な生活をしていたので、どこか精神の一部が麻痺していたのかもしれない。

「経済的危機」よりも「精神的危機」の方が深刻だったのかもしれないなあ。

というか、そもそも働けよってことなんだが。

 

 今週のお題「人生最大の危機」