何を読んでも何かを思いだす

あてのない読書、あてにならない感想、その他。

「労働者よ、ペンを執れ!」

 

なんだか昭和初期のプロレタリア文学みたいなタイトルだが、これは川崎昌平『労働者のための漫画の描き方教室』(春秋社、2018)という本の帯に書いてある言葉だ。

 

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あなたは今の自分の労働にやりがいを感じているだろうか?

もしそうではなく、ただ日々の労働に押し潰されそうになっているだけなら、何かを「表現」してみよう。それには漫画が最適だと思われる。漫画は「もっとも労働者として実現可能性が高く、挑戦しやすい方法論であるから」(p.6)だーーと著者は言う。(実際に著者は編集者をしながら漫画を描いている)

表現手段としての漫画の利点は、

・お金がかからない

・高い技術的素養が求められない

・ひとりでできる

・時間がかからない

・成果を他者と共有しやすい

などが挙げられている。(技術や時間については疑問があるかもしれないが、具体的なことは実際に本書を読んでいただきたい。ただし、著者の考える漫画とその方法論は少し独特な気もするので、この本が万人向きかどうかはわからない)

 

なぜ労働者が「表現」すべきなのか?

「表現」は思考を促し、思考を整理し、それによって自分が変化する可能性があるからだ。

もちろんそれで厳しい労働自体が変わるわけではない。しかし、労働とあなたの関係は変化するかもしれない。

「表現」は余暇の息抜きや暇つぶしといった消極的なものではない。(我流に解釈すれば)ここで言う「表現」とは、自分の「足場」をつくることではないかと思う。

日々の労働に忙殺(すごい言葉だ)されて自分を見失わないように、自分自身の砦というか、生きていく上での「足場」をつくるということ。

自分にしっかりとした「足場」があれば、労働ともきちんと向き合えるのではないか。そのための「表現」なのだ。

だからこの本はプロの漫画家になることを前提にしていない。

労働を続けるために漫画を描く、そして、漫画を描き続けるために労働するのだ。

 

この本は漫画を描くことについて書かれているけれど、心構えなどはほかの「表現」についても当てはまる部分がある。たとえばブログについても。

 

 読ませてもらえることに感謝し、読んでもらえることに感謝する。感謝ができない人間に漫画を語る資格はない。(p.393)

あなたはまず、あなたの漫画が誰かに届いた事実に狂気乱舞しよう。(……)この境遇を幸福と認識できないうちは、まだまだあなたは漫画を描く素地が足りない。(p.404)

 漫画を読んでもらう場所としてのネット空間においては、必ず付帯する数字を無視すること。何人が読んでくれるかではなく、読んでくれる人が存在する事実そのものを喜ぶこと。(p.407)〔太字は原文のまま〕

 

上の引用の「漫画」を「文章」や「ブログ」に置き換えて読んでみてはどうだろう。それからこんな言葉も。

 

表現という営為がまるで異物のように扱われるこの国において、芸術家やアーティストという呼称がおよそ一般人とは異なる存在であるかのように語られるこの国の文化において、能うことならば私はあなたに証明してもらいたいのであるーー表現とは、人間にとって、極々普通の営みなのである、と。特別な才能や特殊な技能の持ち主だけに許された特権的行為などではまったくなく、誰にでも実現可能で、かつ誰もがそうする権利を持つ対象が、表現なのである、と。(p.468)

 

こうしてブログを書いている「普通の人」である私やあなたにとって、勇気づけられる言葉ではないだろうか。